かつて村井國夫さんのインタビューや記事などから村井さんのお言葉を抜粋したBotをやっていましたが、
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あらゆる角度からドラマと役とを検討し原作の成立した背景に至るまで調べ抜く。妥協を許さない仕事振りがさまざまなメンバーが共同作業をする現場では摩擦につながる場合もある。「情熱から生じる軋轢は構わない。僕は少数派になることを恐れません」 おとなぴあ2001年 ワルが好きなんですね……。悪党を演じて人間の欲望とか、堕落する姿を伝えたい。僕が出演する作品を選ぶ上で基準にするのは、人間の本質を見つめている戯曲かどうか。おとぴあ2001年 役に挑む時、台本を毎日全部読み通す。稽古中も上演中もである。「ミュージカルといえども、やはりドラマが軸にあっての音楽であり、ダンスだと思うんですよ」「到達することがないんですよ。僕たちの道は」Urban network No.160 2003年 【鹿賀さんについて】他にも数人のジャン・バルジャン役がいますが、質が全然違う。鹿賀丈史と一緒の時だけ、僕はジャベールとして生きられるんです。 彼だけは本当に一流、天才ですよ。悲劇性と喜劇性を併せ持っている。おとなぴあ2001年 私が思う「正義」とは、アメリカのいうところの「正義」でも「金」や「力」にものを言わせた「正義」でもなく、他人の痛みを自分の痛みとして感じる心です。それが人のもっとも大事にしなければいけない事だからです。2005年クレヨンしんちゃん伝説を呼ぶブリブリ3分ポッキリ大進撃パンフ 【別の人生が送れるとしたらどんな人として生きたいか?】 今までの人生も、山あり谷ありの人生ながら、楽しく過ごしてきました。これ迄、色々な時に、色々な人と出会い、その人達と、時間を共にし、切磋琢磨して生きてきました。この人生に悔いなし。2013年モンテ・クリスト伯パンフ 「役者は夢を売る仕事。だから、いつ誰に見られてもいいように、これでも普段からお洒落にはかなり気を配っているんですよ(笑)」。旅先やプライベートな外出でも、周囲の人々に対して年齢相応の礼儀を尽くしたいからと、必ずジャケットを着用する。ANA SKY SHOP 2005年 宝塚は、男役の着こなしや仕草が芝居上のヒントにもなるんです。座るときに上着の裾をスッと払ったり、手の仕草がかっこいいじゃないですか。だから僕は男優には宝塚を観ろよ、と言っているんです。TCA PRESS 2012年 稽古中の今は日々不安の中で生きていますし、もしかしたらその不安は幕が開いても 、幕が降りてさえも続くんじゃないかと思うくらい、これはなかなかしんどい芝居です。でも、僕はやっぱり常に芝居が楽しいし、苦しみさえもすべて含めて楽しみになる。2011年秘密はうたうパンフ 【3億円を急に手にいれたら何をしますか?】自分の好きな舞台を作りたい。自分の好きな俳優と好きな演出家とでいい舞台を!3億円くれ!!2002年オスカー・パンフ 生の声が届く空間で芝居をするのは好きなんですよ。新国立劇場のピット(小劇場)も「ブレヒト・オペラ」という作品で立ったときに、とても気持ちのいい空間だと感じました。本当に自分の小さな声で話しても届く劇場でやれるというのはいいですね。The Atre2007年 実在した人物を演じる際、役者には 二通りあって、徹底してその人物を調べあげて役づくりをするタイプと、余計な知識が入ると邪魔になるので、あくまで本のなかでその人をつくり上げるタイプがありますけど、あえて言えば、僕は以前から前者のほうですね。the 座2010年 ジャンヌの生き方?そんな事、私に聞かないで下さい。理解出来ません。68年、自分の生き方を探しては来ましたが、未だに見つけてはいないのですから、19年の生涯を信じるものの為に死んだ乙女、私には、はかり難い。自分の傍らに、あの乙女がいたら困るでしょうね。2013年ジャンヌ・パンフ 【私の健康法】口から入れるもの=食事は、一番大事にしています。毎朝、根菜をはじめ十何種類もの野菜が入ったスープを作ってもらい、たくさんの野菜を摂るようにしています。もう10年以上は続けていますが、調子はいいですよ。2014年今度は愛妻家パンフ 【私のダメダメなところ】ものぐさで、行動的ではないところ。休みで用がない日は、ソファーの定位置から動かないらしく……(笑)。娘から「もう、パジャマは着替えて」と言われます(笑)。2014年今度は愛妻家パンフ 【これからの夢】現実主義者ですから、あまり夢想はしないようにしているんですが、「いい芝居がしたい」。これが一番の夢ですね。あとは……余生を静かに送りたいというのが夢でございます。2014年今度は愛妻家パンフ 【お気に入りの愛称】ここのところ親子の関係の仕事が多くて、瀬奈も含め、周りの人たちから「パパ」と呼ばれますけど……それはニックネームではないですね。2014年今度は愛妻家パンフ 私はキューバに行きたい!!カリブの真珠と呼ばれ、その美しさ、人々のおおらかさに魅せられてしまいました。街中に音楽が溢れ、人々は貧しいながら、豊かな感情を持っていました。音楽に浸り、葉巻を燻らして時間を過ごしたい。 2011年ニューヨークに行きたい!!パンフ 【役作りのポイント】ジャベールという人間がなぜ自殺をするか―みずからを破壊するような事になぜなったか、を頂点にもって来て、そこをお客さんに納得させなければジャベールは成功だとは思いません。その"自殺"を頂点にそこから戻って考えています。ミュージカル1989年 彼(ジャベール)は"法"を正義として生きてきた人間ですからジャン・バルジャンは彼にとって"悪"であり、認めることのできない人種、人間なんです。その彼から助けられたことによって自分の全てがくずれ去るわけですから、その混乱をわかっていただけたらと思っています。ミュージカル1989年 自分の信じるものを全うしてきた男ですから、ともすれば"悪"みたいに見えるけれど、彼の主義というものがジャンとは違うものであって、僕はジャベールを"悪"という作り方はしていませんし、すごく純粋な男と思って演じています。ミュージカル1989年 "スターズ"もすばらしい歌ですが、何と言っても"自殺"の歌ですね。苦悩、混乱、怒り、など全てをその歌の中で表さなくてはいけないわけで難しいのですが、とても歌い甲斐があります。ミュージカル1989年 【レミ】全編が歌の作品というのは初めてですけど、僕は芝居だと思っています。リズムが狂っちゃいけない、音程が狂っちゃいけないという意識がありますから疲れますけど、昔から"歌は語れ…"と言われてますよね。僕は、台詞だと思ってやっています。ミュージカル1989年 【レミ】どのシーンをとってもキラ星のごとく光る魅力的なシーンばかりですね。天才が何人も集まって作った作品に、僕たち凡才がいかに負けないように、それに一歩でも近づいて舞台成果を上げるか。そのために、日々精進しなければ、と思っています。ミュージカル1989年 このジャベールは、自分が今までめぐり合った役のなかで最高のものですから、大事にしていきたいですし、できる限り演じ続けます。これから、まだまだ変わっていくだろうし、深くなっていくと思います。ミュージカル1989年 例えば、もっとアクティブなジャベール、サディスティックなジャベール…などイメージはたくさんあって、いくらでも作り直すことができると思っています。演出家のジョン・ケアードと話しながら作っていきたいですね。ミュージカル1989年 そして、村井のジャベールを確立しなければいけないと思っています。日々精進していい舞台をつくりたいですね。いつも1回終わるとヘナヘナになってしまいますが、それでもいいから、その1回に情熱を賭けてやろうと思ってます。ミュージカル1989年 デヴィット・ルヴォーとかロバート・アラン・アッカーマンという演出家に「芝居をするな」「人間として存在しろ」「何かを見せようと絶対にしちゃいけない」みたいな教育を受けてきたわけですよ。ミュージカル1997年 僕にとってやりにくいのは回数は多いにも拘らず帝劇でしょうね。空間がどこ迄も無限にあるような感じがするわけです。送り出した物がものすごく遠くから返ってくるような気がするので、大変なエネルギーが要る小屋ですね。ミュージカル1997年 自分で自分のカラーって判ってないですから自分では決められないですね。他の人からこういうのを演って欲しいと言われれば、そうなのかなと思って演るだけですね。あなたの好きなように染めて下さい…(笑)っていう感じで。ミュージカル1997年 高校に入って、母に言われ、無理矢理、演劇部に入らされたんです。すごく気弱で人見知りするタイプで、人前で喋るのが苦手、人と会うとポーッと赤くなるくらい駄目で、母が「これじゃ社会に出てから困る」と心配して。美貌も美貌でしたから…(笑)。ミュージカル1997年 辻(萬長)さんを慕って俳優座養成所に入ったんです。その後、斉藤憐とか串田和美、吉田日出子たちと自由劇場という劇団を作ったんですけど、芝居だけじゃ食えないんで、映画と舞台両方やってましたね。ミュージカル1997年 細川(俊之)さんに『レ・ミゼラブル』の事を教えて頂いて、ジャベールという役が一番面白いという話を聞いたんです。でも僕は、楽譜も読めないし、オーディションの事もよく解らないということで、平野(忠彦)先生のところでちゃんと歌を習うようになったんです。ミュージカル1997年 ジャベールという役は、それまでの僕の音楽的素養では本当に難しかったんですよね。手の出ないような難曲でしたし、初めは声すら出ませんでしたから…。オペラ形式というか――台詞ならある程度できるだろうと思ってましたけど、全部歌っていうのはねェ…。ミュージカル1997年 【レミについて】初め、どうしても喋ろうとしてしまうんですよ。歌で表現できない。でも段々「この感情は音に乗った方が伝わるかなぁ」と、台詞ではなくなってメロディに乗ってゆくんです。試行錯誤しながら作っていきましたよ。ミュージカル1997年 【ジャベールを演る上で】死ぬ(自殺)ということを観客にどう納得させるか、自己の崩壊と言うか、何に負けて彼は死ぬのかをどう伝えるか、そこが一番考えるところです。この役は、ただ歌だけ歌っているのでは駄目で、演劇的要素が強いと思ってますから。ミュージカル1997年 【レミは】僕にとっては一つのテーマみたいなもの。2,3年に一度は演ってきましたが、常に「今度は!」「今度こそ!」っていうのがありますね。同じ作品でもまた新しい人達と出会うとかなりの刺激にもなりますし…。ミュージカル1997年 【レミの歌について】ずい分楽になりましたが、ただ、楽になった分表現も楽にしてはいけないんです。ジャベールという役は、ギリギリのところで生きている人だから、ギリギリの所で表現した方がいいと思うんですよね。ミュージカル1997年 例えば「スターズ」という歌を歌う時でも「これは血の滴るようなステーキを食べる狼のような人間を表現して欲しい」と、演出のジョン・ケアードにもよく言われました。激しさとか緊張とかを表現しなければと思っています。ミュージカル1997年 【シー・ラブについて】あんなにぴったりの役(プレイボーイのコダリー)は中々手に入らないですからね(笑)。ブロードウェイで観た時も、「この役は俺なんかがやったら面白いな」と思いましたもの(笑)。ミュージカル1997年 【シー・ラブで市村正親さんと初共演して】中々面白い出会いでしたね。芝居の事ばっかり言ってるんですから、朝から晩まで。あんなしつこい奴はいませんよ(笑)。ミュージカル1997年 ジャベールは、演れば演るほど面白いし、自分の中では毎回違うんです。怒り、悲しみ、絶望…全てが、その日のお客様や空気、共演者に演技によって違ってくるので、日々新たですね。ミュージカル1998年 基本的に僕は、相手に関係なく下手だと思う人には「ヘタだ」と言う方だから。そうやってショックを与えないと、役を構築していく大切さを考えないからね。人に吐いた言葉は自分に返ってくることを、よく分かってる。じゃあお前はどうなんだ?って。2005年20th Century「10」 やっぱりね、俳優の色気やエレガントさというものを、もっと磨いてほしいと。それは日常の生活から意識していかないといけないんだよね。いつもジーパンばっかり履いていると、燕尾服を着た時に、どうしてもすんなりとは身につかない。2005年20th Century「10」 僕は前にゲイの芝居をやった時、ホントに心身症になるくらいに思い悩んで、稽古場を逃げ出したこともあるくらい、苦しかった思い出があるんだよ。自分の内面の弱い部分を見つめて、正しい感情としてどう出せるか。2005年20th Century「10」 いい声というのは、どこかでリアリティが欠如する危険もあるんですよ。だから、それは実は褒め言葉にならない面もあって。僕も自分で工夫して、いろんな方法をトライしてみようと思っていますけれど。2007年The Atre ブラウンがマックと歌う「大砲ソング」は昔から好きな曲だったので、嬉しいですね。鹿賀さんと『レ・ミゼラブル』と違う作品でまたご一緒できるのは、今回の最大の楽しみ。2001年三文オペラ・パンフ 僕は稽古場で積み上げたものを舞台でもやるという姿勢。本番で何かを変えるなんていうのは、生粋の新劇人としては踏み切れないものなんです。2014年ゲキシネZIPANG PUNKパンフ 【稽古の時】緊張をほぐすためにオヤジギャグを言ったりして……。でもたとえが古すぎるのか、若い子には全く通じないんだよ。「は?」って流されて悲しい思いをしながら、言い続けてね。ご迷惑をおかけしていました(笑)。2014年ゲキシネZIPANG PUNKパンフ 鹿賀丈史の演技は情緒に溺れず、乾いた感覚があって気持ちいい。風刺に富むブレヒト作品を甘いメロドラマに貶めてしまうことは決してないでしょう。おとなぴあ2001年 きれいごとの虚構には興味が湧かない。「人間のダメな部分に惹かれるから。役を作るときは、人物のどこがいやらしい部分なのか、探求していきます」おとなぴあ2001年 震災前に決まっていた公演ですが、中止することは全く考えませんでした。劇団NLTの俳優とフランス喜劇を上演しています。観客の皆さんが少しでも笑顔を取り戻せたらとの思いです。読売新聞2011年 喜劇なんてばかばかしいと思う向きもあるでしょう。でも、震災以来のストレスで疲れている方々を喜ばせたい。私の願いは、その一点です。読売新聞2011年 ギリシャ、ローマの時代を含む長い歴史を持つ演劇というジャンルは、苦しく悲しい時代でも人類に必要とされ、長く続いてきました。今だけでなく、長い時間をかけて観客と真剣に向かい合い、笑い、喜んでくれる作品を見せるのが、俳優の仕事と信じています。読売新聞2011年 "自然にそこにいる役者"って、役を理屈から作り込みがちな僕から見ると憧れなんですよ。Confetti 2015年 長塚(圭史)くんや蓬莱(竜太)くんはよく観ますし、それから本谷有希子さんも好きで観てます。そのせいかどうか、今年は劇団☆新感線から声をかけてもらって、自分でもびっくりしてるんですが(笑)。演劇ぶっく2012年 単純に自分の中でこのままでいいのかという疑問があるんです。あと何年もできるわけでもないけど、俳優をやっている以上は、自分が本当にやりたいものをつねに探し求めたいので。演劇ぶっく2012年 僕はミュージカル俳優じゃないですよ、そう言われるのはすっごく辛いですね。ミュージカル観るのは大好きですよ。でもやるのは苦痛です。自分が歌がダメだってことよくわかってますから。男優倶楽部2004年 『スターズ』なんて毎回神経ピリピリ心臓バクバク終わったらハアハア。もう800回くらいやりましたが、1度として気持ちよく歌えたことはない。芝居に最も大事なのは集中なのに、ミュージカルだと音やリズムの方に気を取られすぎちゃうんです。僕の場合ね。男優倶楽部2004年 めぐり会うということは大変なことです。年齢、キャリア、タイミング、技術、肉体的条件……それらが自然に合ってやれる役は一生のうちいくつあるかないか。『蜘蛛女』は僕にとってそういう1本でしたね。男優倶楽部2004年 ダンディなイメージと言っていただけるのはありがたいですね。僕ら俳優にとって自分の居場所をどこに見つけるか、はとても大事なことなので。葉巻は好きですが酒は1滴も。うちじゃガウンなんか着たこともありませんが、よくいただくんで、吊るしてあります(笑)。男優倶楽部2004年 日常では汚いオヤジでも、舞台ではなんとなく色っぽい俳優でいたいですね。男優倶楽部2004年 いや、こんなの(ボランティア活動のこと)は当たり前のことですよ。僕らはみな、社会とのつながりの中で生かされて、仕事もしている。俳優は別に特殊な世界の人間じゃないし、自分だけ贅沢してればいいってもんでもないんだから。男優倶楽部2004年 たとえば僕のように俳優をしていると、舞台で家を離れることも多いですから、そういうときは、どうしても外食が中心になってしまう。でも、そういうときでもなるべく肉食ばかりに片寄らずに魚や野菜を摂るように気をつけていますね。潮2000年 俳優という仕事をしていると、ときには精神的に脆弱になることもあるわけですね。そんなとき、肉体が弱いとそれに耐えられない。まず、肉体的に健康でなければ役者は務まらないと思いますね。潮2000年 玄米を食べるようになってから、あまり風邪をひかなくなった。玄米のおかげで体は丈夫になった気は確かにしますね。潮2000年 飲むといっても、僕がやるのはコーヒーなんです。一日に四、五杯は飲むでしょうね。それともうひとつの楽しみがシガー(葉巻)なんです。でも、これはタバコとは違って、煙を肺の中にまで入れませんから、非常に健康的なんです(笑)。潮2000年 葉巻は大人の楽しむものだ。若者が吸っていても、あまりかっこいいものではないと思うね。僕自身、葉巻が様になる大人に近づくにはまだまだ。CIGAR WORLD2000年 10年前にマイフェアレディの舞台でヒギンズをやったんです。その中で葉巻を吸うシーンがあったんですよ。それまで葉巻なんて吸ったこともなかったので持ち方や吸い方を研究しなきゃいけない。それが始まりでした。その役をやらなかったら、シガーに巡り会うこともなかったでしょう。ラピタ2000年 【葉巻】困るのはどこでも手に入る物ではないこと。その恐怖感があるからストックは絶えず気にしてます。それに湿度が非常に大事なんです。旅行用ケースには、コンディショナーといって湿度を保つ棒が入っています。ゆったりと、おいしく味わいたいからシガーケースは僕の宝物ですね。ラピタ2000年 客席との間に感動が生まれた瞬間、他の仕事では得られない喜びが湧く。定年時代2011年 いずれ、人生の重みや深みがにじむ最晩年の役をやりたい。今の自分はそれにはまだまだ青い。希望と理想があれば、人は簡単に老いない。僕に成長の余地はまだまだある。定年時代2011年 つらいことは過ぎると忘れてしまうものなんです。いろいろあったけれど、思い返すと幸せな思い出しか浮かんでこない。何かにぶつかると、乗り越えるときは必死なのだけれど、過ぎてしまえば笑い話になる。それがわかっていれば、どんなことも乗り越えられると思うんです。朝日新聞2009年 どうも日本の演劇界は悲劇性や社会性の強いものが崇高なもので、エンターテイメントを低く見る傾向があるけど、僕は泣かせるより笑わせるほうが難しいと思ってる。それこそ、「面白くて何が悪い!」って言いたいよね。週刊現代2012年 僕の中ではあと10年、芝居が出来たら幸いだな、と思っているの。あと10年で何本できるかと思うと、一本一本が本当に大事になってくるんですね。週刊現代2012年 もちろんギャラは多いにこしたことはないけれど、今は自分が納得できるもの、自分の存在価値のある所でやっていきたい。そのためにも、若い人たちに刺激をもらうだけじゃなく、少しでも刺激を与えられる存在になっていかないとね。週刊現代2012年 【稽古のどの段階で役を掴むか】やはり最後の10日が勝負ですね。ですから稽古場では試行錯誤を続けながら、そのすべてを試して相手役の受け方を見て、あっそう来るなら、じゃあ今度は……と、積み重ねていくので、それが固まるのは本当に最後の段階ですね。演劇ぶっく2001年 【ミニチュア・ダックスフント】名前を呼ぶと、膝の上に乗り、私が動くまでずっと寝ています。もう誰からも愛されなくなった小生にとって、唯一、愛を与えてくれる天使です。ランティエ2006年 【喫茶店で】モンブラン、くり ダウンタウンDX2002年 僕は不真面目だと思われがちだけど(笑)、芝居は、いかなる時も手を抜かず、深く深く考えていきたいと思っています。ミュージカル2002年 "いつかこれが出来る俳優になりたい"と僕が思ったように、僕たちの舞台を観て、"やりたい"と思う仲間がいるし、若い俳優には、"やりたい"と精進してもらえるような舞台を見せたいので、出来る限りチャレンジしていきたいと思っています。ミュージカル2005年 役者の言うことを何でも聞いてしまう演出家も良くないと思うけど、演出家の言いなりになっている役者もダメだと思うんですよ、僕は。ミュージカル2004年 【マックスについて】自由を謳歌している人間として演じたいですね。パパみたいに生きたいけど、そうは生きられないエリザベートが、死の向こうには何かがあるのではないかと思い、でもまだ生きたいと思う…そういう影響を与える人間として舞台に生きていたいと思います。ミュージカル2004年 【コルフ島】エリザベートがどんどん孤独になって、「パパみたいになれない」と言うシーンですから、マックスが、生きることの喜びを表すことによって、エリザベートの孤独感がより伝わるのではないかと思いました。ミュージカル2004年 【エリザベートの歌】難しかったですね。心情を表すために不協和音だったり、ズレて歌ったりしているので、自分の中に歌が入ってくるまで時間がかかりましたね。ミュージカル2004年 【エリザベートの魅力】エリザベートという人の魅力的な人生を、音楽と、彼女にかかわる人間たちと"死"であるトートとで表現していく面白さ。やっていて退屈することがないですから。あと、個々の役者の魅力をとても感じる作品ですね。ミュージカル2004年 旅行のカタログはよく見ますね。行けない分だけ(笑)。知らない街を想像してどんなところだろうと思いを膨らませて、現実に行けた時はやっぱりうれしいものですね。婦人画報2006年 僕は小さいときから、歌を聴くのは好きでしたね。それこそ浪曲から何からノンジャンルで聴いてました。人間の出す声に興味があったんですね。声ってその人の感情がそのまま出るところが面白くて。ショパン2001年 僕もすごい緊張の中で芝居したことがあるんですよ。誰かのお腹がグーッと鳴ったら聞こえるほど小さなホールでのふたり芝居。途中でお客さんのひとりが、息をつめすぎて倒れちゃったんです。そのぐらい緊迫した舞台でしたね。ショパン2001年 テレビの撮影で1回目にNGを出されると、2度目にやるときは1度目の芝居を自分でなぞっているようになるときがあるんですよ。そんなときは僕、監督にお願いして最初のものを選んでもらいます。新鮮さを大切にしたいんですよ。ショパン2001年 師弟だから、してーほーだい 2000年すてきなおじ様の音楽会 【お気に入りの恋愛映画】仕立て屋の恋。シアターガイド2003年 【俳優としてのスタート】映画と劇団ですね。俳優座の養成所を卒業してから仲間と13人で劇団を作って、それと同時に東映と契約をして映画にも出演していました。ただあんまり食えなくて、26歳の頃からはテレビドラマの仕事が主流になったかな。エレクトーン2005年 僕は基本的に、ミュージカルの歌はセリフだと思ってるの。セリフが音楽の助けを借りることで、高揚した気分をより昇華した形で見せることができる。だから、「この歌を聴かせよう」というのは、僕は違うと思う。エレクトーン2005年 僕は、ストレスは全然たまらない。言いたいこと言ってるから(笑)。若い頃から、興行主と喧嘩して芝居を降りちゃった、なんてこともずいぶんあったしね。エレクトーン2005年 【年を重ねて守りに入る?】ぜんぜんない。いいものを作るためには必要ないから。あのね、僕は芝居に関してはすごく真面目なの。だから共演者に対してもいろいろ言うし、一方、専門家の助言はちゃんと聞く。素直な気持ちと頑固な気持ちを持って、芝居に取り組んでるかな。エレクトーン2005年 今は、公演が終わったら身体を休めて次に備えるよね。舞台の上ではエンジョイしてるけど、今はあまり遊ばないし、無駄なことに情熱は使わない。エレクトーン2005年 【若い時は】そりゃあ、ブイブイ言わせてましたよ(笑)。寝ないで芝居やってた時期もあるし。だけど、自分にとって芝居がどんなに大事かということがわかってからは、それはないかな。エレクトーン2005年 "愛"とは、相手のすべてを受け入れてひとつになること。エレクトーン2005年 子供によって僕の人格とか考え方が変えられた部分はありますね。子供は最初の何年間かで、すべての孝行をしてくれたような気がします。Yomiuri Weekly2005年 【俳優】最大の魅力は、自分を内部まで見つめること。嫉妬心や悲しさなど弱い部分を引き出したりしないと役作りはできない。つらい作業だが、自分を見つめることがここまでできる仕事はあまりないと思うし、おもしろい。西日本新聞2005年 俳優はスターではない。嫌な部分も見せないといけない。冷静に分析して自分のなかの本当の感情を出さないと。取り繕って見せる芝居は真実ではない。西日本新聞2005年 感動させるには生半可なエネルギーではできない。自分もエネルギーを持って対処しなければ、というのがエネルギー源。笑うにしろ泣くにしろ、人の心を動かしたい。西日本新聞2005年 【若手の舞台俳優に個性がなくなってきている】従順だが変革を嫌う、そんな若者が多い。原因の一端は教育。画一的な教育は個性を生み出さない。東京新聞2005年 俳優というのは、自虐的なところがありまして。こんなふうに、時間のかかる作品で自分を追い込む作業というのは、ある意味での快感というか、いつも追い求めているものなんですよ。赤旗2007年 掛け値なしで、今一番面白くて、真剣に取り組んでいるのはFMです。ラジオは長い間の夢でしたからね。テレビや映画は、顔で少々のゴマ化しがきく。でも、ラジオはそれができない。1時間を完全に任される緊張感は、苦しくもあり、何ともいえない快感があります。FMfan1982年 このマンションに入る時、真っ先に意識したのが、音楽をどうやって聴くかということ。リビングではレコードを、書斎ではテープを中心に聴くようにレイアウトしてみたんですが……。FMfan1982年 壁に耳ありクロード・チアリ シガーを吸うには、やっぱり形が大切ですね。僕は右手の人差指と親指で摘んで、中指の背で支えるように持っていますが、たまには、あそぶようにして…。恰好がつくまでに五年はかかりますね。産経新聞・大阪版2003年 シガーは、香りが強いので日本料理店では絶対に吸いません。ただ、フランス料理やイタリア料理には香りが味とぴったり合いますし、食後に吸うのであれば、マナーには反しないですよね。産経新聞・大阪版2003年 シガー自賛 ダウンタウンDX 2006年 【シガーにひかれる理由】リラックスする時間、自分を解放する時間が欲しかったのです。芝居というのは、緊張しっぱなしですから、シガーを吸っていると、時間を緩やかに流してくれます。自分に豊かさを与えてくれるのがシガーで、奥深い魅力を感じています。産経新聞(大阪版)2003年 【音無さんへ】病気になってくれてありがとう。キミは辛かったと思うけど、もしキミが病になっていなかったら、ボクはもっと傲慢に生きていたと思う。人にやさしく、親切にする心を知らないで生きていたと思う。がんもうつもありがとう!と言える生き方2011年 【シェイクスピア劇】「言葉」の理解と扱いが演出によって大きく変わる。人間の根源にある嫉妬や欲望、そういうものを嘘をつかずにさらけ出す気持ちで演じないと、シェイクスピアの「言葉」に負けてしまう感覚があるな。シアターガイド2009年 【妻】毎回、舞台稽古と公演初日はなるべく観てもらうようにしているんですよ。この年齢になると、座組のなかでいちばん年長ということも多くて、なかなか厳しいことを言ってもらえなくなる。そんなとき、彼女は信頼できる批評家として頼もしい存在です。Yommy2007年 母はNHKに出ればすごいと思っていてね、NHKに出てくれって言っていたんです。僕はNHKに出るのは親孝行をする気で出ていましたよ(笑)。ぷらざ2003年 台詞は論理的なので簡単ですが、歌詞を覚えるのに苦労します。歌詞って非論理的でしょう?ぷらざ2003年 【役作り】台詞の空間に感じるものを考えていかなければならないので、自分の部屋にとじこもって芝居に関する資料を読んだりしています。僕は、部屋でぼーっとすることも好きなんです。自分のアイドリングタイムは大切ですからね。そういうときはほとんど葉巻をふかしています。ぷらざ2003年 【熟年離婚】せっかく積み重ねてきた歴史を否定してしまうのは、もったいないよなあ。夫婦は運命共同体。でも、他人なんだから理解できないところがあって当たり前。お互いの価値観ややりたいことを理解し合って、それを大事に思ってあげることが大切だよね。NHKためしてガッテン2007年 僕は妻がいないと家のことは何もできなくて、妻に守られている存在。だから、ことあるごとに感謝の言葉を言っていますよ。NHKためしてガッテン2007年 僕は、外国人の役の方が多いから、その国の社会情勢とかを勉強しないとリアリティが出せないと思っている。例えば、当時の貴族がどんな環境の中で生活をしていたか、それを調べて、その時代の中に自然に生きている人間を演じたい。単に、そういうことが好きなんですね。かんぽ2003年 子どもがくれた手紙は全部とってありますよ。口では言えないことも書いてあって、やっぱり手紙はうれしいよね。かんぽ2003年 極端なことを言うと、観客が感動するしないは関係なくなってしまうんだ。僕たち二人の間に反発があって、和解があって、愛があって、と。二人がその心の触れ合いに感動できなかったら、この芝居は成立しない。1992年蜘蛛女のキス・パンフ 自分の心を開いていかなくちゃいけないし、しかも全然演技の計算が成り立たなくて正直言うとありましたよ、『ここでこうやれば、お客もわいてくれる』みたいな考え方。だけどそれが全く通用しないし、逆に僕などはそのことに感動しているところ、あるなあ。1992年蜘蛛女のキス・パンフ ジャベールを演りたくてオーディションを受けたのが3年前。今やっと、その念願のジャベールを演ることが出来ます。永い間、探し求めていた理想の恋人に巡り会えた様な気持ちです。この恋人、なかなかのじゃじゃ馬。でも大事に愛し、育てていきたいと思います。1989年レ・ミゼラブル・パンフ 【ミュージカルに親しむようになったきっかけ】フレッド・アステア、ジーン・ケリー、シド・キャリシー、ジンジャー・ロジャース等のMGMのスタジオで作るミュージカルを良く観ていたので!2002年Thank you! Broadway!vol.2パンフ 【お気に入りのミュージカルナンバー】命をあげよう(ミス・サイゴン)、モーニンググロウ(PIPIN)、彼女の事で頭がいっぱい(マイ・フェア・レディ)、SO IN LOVE(キス・ミー・ケイト)2002年Thank you! Broadway!vol.2パンフ 【ブロードウェイを楽しむコツ】劇場の雰囲気を楽しんで下さい。日本の劇場と違って歴史があるし、観客が素晴らしい。劇場に来るのを楽しんでいる様子が嬉しい!2002年Thank you! Broadway!vol.2パンフ 【ミュージカルスターを目指す若者へ一言】継続すること、昨日よりも今日、今日より明日!心も体も頭も鍛えることです。2005年Broadway gala concert 2005パンフ 【舞台というものが】本来苦業なんです。舞台出身なのに、なぜ苦業?舞台というものが、ナマであるということと、同じことを繰り返し掘り下げていく。そのつど新しい発見をしていかなければならないのに、それができないのが、苦痛なんです。1986年真夜中のパーティ・パンフ 彼(ハンク)はサディスティックなところがあって、自分も血を流しながら、相手も傷つけずにいられない、そんな風に愛を確かめているという、ね。人間ってそうじゃないかな。僕は女性が好きだけれど、やはり互いに傷つけ、血を流しながら愛を確かめているんですね。1986年真夜中のパーティ・パンフ 中々自分をさらけ出せずにうまく芝居ができない僕に(岡本健一が)「村井さん、これは芝居なんだからさ、芝居なんだから別に村井さんの実際の性生活を見せるわけじゃないんだから」と。楽しんで役をやればと言われたんです。あのときはガーンとしてね、教えられたなぁと思いましたよ。ポポロ2002年 舞台は生き物だから、とにかく"気"が大事。緊張感のない舞台を見るとお客さんはガッカリしちゃうでしょう。たとえば、緊張感を持たずにギャグに走ったりしたら最低。お客さんはその場では笑うよ。でも、それを「ウケた」と喜んでいるようじゃあダメ!最近そういう風潮が多いんだよ。ポポロ2002年 基本的には、水をすごく飲みます。それも、水素イオン水を1日2リットル以上。あと、風邪をひくといけないから、クーラーが強いところに行った時のために常にジャケットは持ち歩いてる。ポポロ2002年 昔はノドを痛めないように、夏でも首にタオルを巻いて寝てましたよ。それと、最近は鼻うがいもするね。鼻に水を入れて、口から出すんです。あれはいいですよ。普通の水は痛いんだけど、ちょっと塩を入れると痛くないから。あとは、普通のうがいは緑茶でやるとかね。ポポロ2002年 20代は色んなものを作る時代だと思ってる。30代は"勉強"なんですよ。そこをどう過ごすかによって40代からの人間的な大きさに影響してくるんじゃないかな。ポポロ2002年 30代では、ある意味、勝負した方がいいと思うよ。僕は、今でももちろん勝負だと思ってるけど。『フットルース』をやっている時は、いかに坂本のファンを俺の方に向けるか?と考えたりね(笑)。それはやっぱり勝負ですから、真剣にやらないと!ポポロ2002年 客を引かせるのが好きなの。僕としては、ウケるためじゃなくて、引かせるためにやってるの。何てひどいオヤジギャグなんだ!と思わせるためにね。みんなが引いて、「寒ぅ〜っ」と言われるのがうれしい。ポポロ2002年 感動というのは、舞台と客席の間で生まれるものですから、オペラでも演劇でも、いい観客がいなければいい舞台は創れません。だから僕もいい観客であり続けたいと思っています。グランドオペラ1998年 【オペラ】序曲が流れ出すともう一観客として期待で胸がザワザワしてきますね。そのドラマティックな時間と空間の魔力にドキドキするんです。だから僕はかなり早い時間から客席に座るんです。30分位前から、じーっと始まるのを待って、その間に気持ちが昂まっていくんです。グランドオペラ1998年 音楽が入ると人間の感情は豊かになる。演劇ではどうしても、日常で我々が実感できる範囲の中でその真偽を追ってしまう。喜びを表すにしても過剰になると嘘っぽいということになってしまう。まして僕は近代劇を叩き込まれているから、演劇では日常の空間を越えられないんです。グランドオペラ1998年 全編音楽の中にあるオペラでは、観客の気持ちが音楽に浸っているから、表現が大きくなってもそれを共有できる。音楽の力で、演じる側と観る側の気持ちが大きなスケールで往き来するんですね。グランドオペラ1998年 【浅見陽一郎】公演で地方や海外に行っても、「これは、これは刑事局長」などと声を掛けられるんですよ(笑)。僕のキャラクターをそのまま要求されるような役なので、とても楽で、楽しくてしょうがないですよ。東京新聞2002年 舞台はね、観に来るのは女性が中心で男は本当に来ない。特に中年以降は。外国では半々なのにとても残念です。日本の男たちの文化水準はすごく低い。みんな結局はエロおやじになっちゃう(笑)。援助交際に走ったり。つまり日本の男は幼稚なんです。政治家だってそうじゃないですか。週刊実話2000年 【レミ】いかに、その場で生きられるかということを大事にしたいと思っています。ロングランになりますと、馴れてきてしまうというか、お客さんが見ていることの恐怖感が薄くなってしまうところがありますから、毎回、怖れを持っておののきながら舞台に立つようにしています。ミュージカル1994年 ジャベールに対する興味というのは、悪の魅力と言いますか、本当は違うのだけど悪役として書かれていますから、それをどう魅力的に演じることが出来るか…にすごく興味がありましたね。ミュージカル1994年 【ジャベール】死んでいくということのはかなさ、自らを滅ばしていくという思いに悲しい一面があり、とても惹かれました。ミュージカル1994年 【レミの魅力】音楽がすごく好きですね。そして、ヒューマニズムが過ぎるかなという話を、楽曲と演出で、感動というところまで持っていっている上手さ、人の動かし方、装置の使い方、すべてが天才的な感じを受けます。ミュージカル1994年 【ジャベールとバルジャンは表裏一体?】それはあると思います。人間の中には、ある種の正義と悪との両方がえてしてあるものですよね。それを切り離して考えたのがこの2人の人間だという気がしますね。ミュージカル1994年 【ジャベール】特に『自殺』のところは、"形"としてではなく、"生きた人間"として出るように…と、橋から落ちそうになった時、はじめて死というものを自分の中に感じるという演出を(今回)ジョンがしたのです。毎回、新たな気持ちで演じて面白いですね。ミュージカル1994年 "スターズ"は自信に満ちたナンバーですからね。星たちに向かってずっとそこで俺の行動を見ていてくれという、ジャベールなりの愛し方が表現されていてハードではあるけれど、どこかラブソングでもあるんです。ジャベールは星がテーマですからね。バルジャンは太陽なんです。ミュージカル1994年 【スターズ】この曲は、ミュージカル・ナンバーとして大きいもので、もっと歌を聞かせた方がいいと思っているのですが、どうしても芝居をしてしまうので、うまくミックスできるように、もっと勉強しなくては、と思っています。ミュージカル1994年 今日、どういう声が出るかで全然違います。最初の"ヤツをここへ呼べ"という声でその回が決まりますね。それが生きている芝居だと思っています。計算して考えたことをそのまま演る芝居ではなく、そこに存在することだけを考えて演技するようにしています。ミュージカル1994年 ジャン・バルジャンの"自由なのか"という最初の台詞、その言い方がどう出るかで、ジャベールの受け方が全然違いますからね。その反発の仕合いがその時によって違うので、これは決定的に毎回違ってくるということになりますね。ミュージカル1994年 【ジャベールの生き方】批判的かもしれない。権力を行使するようなやり方に対しては、僕自身否定的ですから。ただ、力を持った者への興味、どうしてもその権力を使いたがる…そういうところは非常に面白いと思いますけどね。ミュージカル1994年 自分が、絶対に見ることができないということ、それが僕にとってすごくいいんですよ。一回で消えていく、その一回をいかに情熱をかけられるかが勝負ですね。テレビや映画は失敗したらもう一回やればいい。でも舞台にはもう一回がないんです。ミュージカル1994年 ライブだからこその良さ、それが舞台だと思ってやっています。『レ・ミゼラブル』に出ていると、こんな素晴らしい作品に出ているんだと思って、一回一回がもったいなくてね、大事にやりたいと思いますね。ミュージカル1994年 極限的な状況だから、正直な人間性が出ちゃうわけですよね。自分でも見たくないだろう本音、一番心の奥底に潜んでいるものが、その状況だからこそ出てくる。それがある時は優しさだったりするわけですが、そういうところに演じている方は惹かれているということはありますね。ミュージカル1994年 今は、ジャベールは清潔な人だと思い始めているんです。信じるものがあって、その信じるものに対しては真摯で、それを疑うことをしない。その清潔さゆえに崩れ、その堅さゆえに崩れ落ちるんです、ジャベールは。ミュージカル1998年 【ジャベール】正義を信じ、法を信じながら、もろくも崩れ去る…みたいなところに、もう敵役とかいうことは全く感じなくなってしまいましたね。意地悪をしているのではなく、信じているからこそ誰も許せないんです。ミュージカル1998年 【最初の頃は悪い役だと思っていたのか】悪い役というか、冷徹な人間だと思っていたところはありましたね。でも、冷徹なのではなくて、ジャベールは、自分が信じているものに対して行動を起こしているだけなんですよね。ミュージカル1998年 【スターズと自殺】毎回毎回必死ですよ。2つともとてもいい歌ですから、やりがいがありますね。特に"自殺"は毎回違います。自分の中で感じるものが違うので、絶望的な感じになることもあれば、怒りの中で死んでいく時もあります。難曲ですね。ミュージカル1998年 【自殺】役者でなくては歌えないナンバーでしょうね。序曲から怒りがあり、絶望の中で死んでいかなくてはいけないという、すごいドラマがあります。ミュージカル1998年 【自殺】それ(怒り、絶望)を全部表現して、観客に納得させなくてはいけないわけですから、それは大変なナンバーだと思うし、素晴しいチャンスを与えられていると思います。死に物狂いでやったって、まだまだ追い付かない感じがしますね。ミュージカル1998年 【犬の名前がマリウスとコゼットというくらいレミが好き】大好きですね。もうどっぷりです。もっと楽な仕事はいっぱいありますよ。でも、常に喉のことを気にしながら、シンドイ思いをしながらもやっているのは、すべてを超えるものがこの作品の中にあるからなんです。ミュージカル1998年 【時代劇映画「山桜」の収録中、東山紀之に】ヒガシは本当に東から来たの?日刊スポーツ2008年 【自分のキャリアの中でレミ、ジャベールとの出会いの意味】一番の意味を持つものでしょうね。この出会いによって役者としてのキャリアも変わってきました。一番の思いを持つ作品であることは間違いないですね。ミュージカル1998年 【レミの魅力】人間が永遠に求めているものってありますよね。愛を求め、平和を求め、自分が変革することを求める…いっぱい求めるものがありますが、それが、各々の登場人物の中に描かれているんですよ。ミュージカル1998年 バルジャンが求めているもの、マリウスが求めているもの、ジャベールが求めているものがそれぞれにある。人間が求めるものの中の一つずつをそれぞれが持っているからその生きざまもはっきりわかるし共感も出来る。それを描いた大きさがこの作品の素晴らしさではないでしょうか。ミュージカル1998年 【ジャベールの捉え方の変化は?】もちろんです。とどまるところがないですね。まだまだ征服出来ませんよ。役の大きさと作品の大きさに対して、もっともっと表現方法があるんじゃないかと、役者は頑張らなくてはいけないと思うんです。ミュージカル1998年 【レミ】僕は、今、やっていることが決してベストだとは思っていなくて、もっともっとやり方があるんじゃないかと思っています。他の役の人たちも、もっともっと考えてやらなくてはいけないと思いますよ。ミュージカル1998年 【舞台パンフの表紙に「サインして下さい」と言われて】ひょうしぬけ〜 ダウンタウンDX2002年 【芝居】うーん、趣味みたいなものですかね。だから嫌になるまでやれるし、やればやるほど深くもなる。いま芝居が一番好きだし、広がっていく感じですね。一年のスケジュールはまず芝居の予定から入れる。それも出来るだけ台本と資料を読んでから決める主義です。悲劇喜劇2007年 僕もいまだに色気のある役者でいたいと思ってますよね。やはり、僕自身俳優である限りは、女にモテたいと思うし、モテなきゃイカンと思うんです。「この人に抱かれたい」と思われるようじゃなきゃ、役者をやってる価値なんてありませんよ。婦人生活1986年 我々の仕事のは90%は、言ってみれば失敗なのよ。つまり、自信は全くないのだけれども、やるしかないからやってるっていうとこ、僕にはあるんだなァ。婦人生活1986年 人の評価というのは気にならないのね。だから、自分の出演した番組は絶対見ない。結局、僕が思う評価というのは、次にまたいい仕事がくるかどうかで測れるものだから。婦人生活1986年 かたくなに信じているジャベールの生き方が好きです。彼にとっては法が自分の正義なのに、法よりジャン・バルジャンの愛の方が強かった。自分のアイデンティティが崩れ、純粋さ故に死を選んだ男です。悲劇喜劇1995年 ミュージカルの舞台は想像を絶するキツさである。終演後、楽屋でマッサージを受け、喉の病院に通い、冬は加湿器を離さない。夏は冷房をかけず喉にタオルを巻いて寝る。睡眠は八時間以上、食事も喉に悪いものは一切とらない。建設統計月報1994年 クローディアスは中々"苦労ディアス" 2012年ミュージカルハムレット・パンフ 笹本玲奈「あ、村井さんが差し入れてくださったピクルスが美味しかったです」村井國夫「驚いただろう!ピックルしただろう!」enterminal2013年 これはね本当にたまらない。僕はね、世界のミュージカルの中でナンバーワンはこれ(ラ・マンチャの男)なんです。涙流して観られる。ドラマがちゃんとしっかりしてて、音楽もね、よくて。僕は敵役のカラスコ博士がやりたかったんです。地井武男の音楽旅行2012年 昭和39年に僕は東京に出てきて、これ(映画ウエストサイドストーリー)を30何回見ました。映画館で。昔は入れ替えなかったから一日いたんです。それほどにショックな…これは。ええ。舞台よりも映画の方がよくできていました。地井武男の音楽旅行2012年 【オペラ】よく見てますよ。クピードが好きで、イタリアまで見に行ったこともあります。外国のオペラ歌手は、芝居もうまいですね。ドミンゴなんかうまいですよ。声は僕、パバロッティのほうが好きですけど、芝居はドミンゴの方がうまいと思います。ショパン2001年 芝居も舞台も第一声を出すとき、いかに観客をその世界に引っ張っていくかが勝負なんですよ。ショパン2001年 【89年レミ】残念なことにジョンが来日できなかったので、僕は初演からジャヴェールのセカンドキャストをやっていた佐山(陽規)の見よう見まね。必死でしたよ。立ち位置やタイミングがすごく細かいし、ひとつ間違うと舞台をぶち壊すどころか事故にも繋がりかねないから。レ・ミゼラブルの100人 正直、僕のジャヴェールは誰にもできないという自負はあります。本音をいえば、歌も演技も村井のが最高だと言われたいですよね。レ・ミゼラブルの100人1997年 【ジャヴェールをやって】おかげで、デヴィット(ルヴォー)やボブ(アッカーマン)といった世界的な演出家の面白い作品に巡り遭えた。役者としてグレード・アップというか、新しい局面に入れたと思うんですね。レ・ミゼラブルの100人1997年 【エリザでの演出家の要望】とにかくしつこいですね(笑)。お互い様ですけどね(笑)。でも、しつこいということは演出家としての一つの才能だと思います。いろいろなところで闘いましたね。それはとても有意義な時間でした。ミュージカル2004年 ただ、僕は、人とコミュニケイトすることが演劇だと思っているので、一人芝居には興味がなくて。人とコミュニケイトし、その中での様々な表情を人に見せることが面白いんです、芝居は。ミュージカル2002年 悲劇は誰にも内在しているものなので、何十年も役者をやっていれば何とかなる。でもコメディーは、予備知識のない観客を触発させる技術とセンスが要求され、僕には難しいと思っていたんです。東京新聞2002年 ファルス(笑劇)の場合、せりふや動き、小道具の使い方などを計算して作り上げ、体にたたきこんでおかないと成り立たない。その上で人間というもののおかしさ、愚かしさを浮かび上がらせられれば。読売新聞2002年 MGM映画を見て育った世代ですから、ミュージカルは大好きでした。でも、まさか四十歳を過ぎて自分がやることになるとは。今でも歌が歌えると思っていません。人生って、いろいろあるものですね。読売新聞2002年 戦中の最後の世代として、戦争と人間の狂気を伝えていかなければ。そんな作品(コペンハーゲン)はもっと上演されるべきです。今回の作品で、私自身、俳優としての今後をもう一度見つめ直す、いい機会にしたいですね。赤旗2007年 芝居では、人との出会いが大切なんです。共演者、スタッフ、観客、どれもが人との出会いなんです。でも、たくさんの人とうまくやっていくのは、気が張りますよね。自分のテンションを保ち続けるには、リラックスが肝心なんです。とりわけ、初日の緊張感ってすさまじい。時を超えるシガー1998年 隠しているだけで、運動能力はあるんですよ。今でも片手で腕立て伏せができますから。週刊朝日2015年 遅ればせながらあの作品(レミ)で演劇にめざめましてね。芝居の背景となる時代や社会を調べて舞台に臨みたい、勉強の時間を大切にしたいと思うようになったんです。読売新聞2005年 一日でも早く俺が先に死ぬこと。俺はそれが生涯の願い。これは、ずーっと言ってるの。お願いだから(音無さん)元気でいて。もう銀行もわからない、区役所もわからない。どこに何があるか、全然わからないんだから。もう、大黒柱は母親ですよ。俺、つっかい棒みたいなもんだから(笑)週刊朝日2015年 【感銘を受けた作品】映画「アンダーグラウンド」。旧ユーゴスラビアを舞台に人々の現実が寓話として、しかも軽いタッチで明るく描かれているのが強烈に胸に響くんです。俳優の力にも打ちのめされた一作ですね。2015年ダブリンの鐘つきカビ人間パンフ シガーを吸うにも一つのスタイルがあり、ましてや、ヒギンズ教授は上層階級に属していますから、堂々とした吸いっぷりを演じなければなりません。これは生半なことでは演じられないぞ、様になっていないと嘘になるぞ、と思いました。the HOTEL1999年 【好みの葉巻】主なもので、3〜4種類あります。「モンテクリスト」のNo.3は時間も45分前後と程よい長さで、前から好きでしたが、深夜、時間があるときなどは、「ロメオ・イ・ジュリエッタ」のチャーチル・サイズや「コイーバ」などがいいですね。the HOTEL1999年 【葉巻】チャーチル(サイズ)は一日一本のペース。その他もあわせて、一カ月で大体100本。一日3本のペースですね。一日5000〜6000円くらいですか。そういう意味では贅沢ですけど、ボクはお酒をいっさい飲まないので、家族からは文句が出ないんです(笑)。モノマガジン1998年 自分がいかに怠惰な俳優生活を送ってきたか、思い知らされています。でも、それは素晴らしいことでもある。一から出直して頑張れよという励ましでもあるわけですから。読売新聞1999年 【ジャベール】声が出なくなるなど何度も壁にぶつかって降板さえ覚悟したが、ここにきてようやく思うように動けるようになってきた気がします。潔癖さゆえにうまく立ち回れず、挫折していく彼の弱さがいい。掘り下げるほどに新たな魅力を発見する。読売新聞1999年 ブロードウェイといえば中野。2002年Thank you! Broadway!〜We Love N.Y.〜 秋といえばさんまの季節。さんまタイム。さまーたいむ。(「サマータイム」を歌う村井氏)2000年すてきなおじ様の音楽会 だけどね、芝居はピアノ演奏と違って、台詞をトチッてもいいんですよ。人間ていつも論理的に話してるわけじゃないし、日常的に間違えたり言い直したりしてるでしょ。あっ、でも芝居でトチッてもいいと思ってるのは僕だけかな(笑)。往々にして、間違えると観客は喜ぶんだよね。ショパン2001年 【平野忠彦先生とのコンサート】自分でイヤになっちゃうぐらい緊張しますね(笑)。だって、燕尾服着て歌うのよ、僕が!(笑)。1曲覚えるのだって大変だし、いつも汗びっしょり(笑)。ショパン2001年 ただ何年かやっているうちに、「これは音楽が語っているんだな」ということも感じるようになりました。作曲家もちゃんとそうやって書いている。だから僕らは、その意図を正しく表現して歌えばいいんだと思いますよ。エレクトーン2005年 役者なんていい加減だから、いつセリフが抜けるかわからないし、そこで君たち(ピアニスト)がうまく対処してくれないと芝居が回らない。だから、杓子定規にやっていたんじゃダメなんだよ。役者も演奏者も一緒に芝居を作っていると思わないと。エレクトーン2005年 24歳の時10歳以上年上のシナリオライターと結婚しました。売れっ子の脚本家に駆け出しの俳優、女房でありながら先生という組み合わせでした。家庭では夫として振る舞っていても現実は自分の存在はぜんぜん小さいわけで、そんな生活に耐えていけるほどの大物でもなかった。読売Weekly2005 「蜘蛛女のキス」ではゲイの役を演じたけど、ゲイは自分の内になかった。どうやって探し出そうかとゲイのまねをしても、厳しい米国人演出家は許さない。演出家は「芝居はするな、存在しろ」と言うんだ。その人の生い立ちや性格など、意識にないところから作り上げる。西日本新聞2005年 本当の野党がなくなった。国民とかけ離れた政治なら時の権力が座を移す、そんな時代もあっていい。二十一世紀は経済から文化を築く時代。国立オペラ劇場一つない、そんな政治は潤いがない。東京新聞2005年 家では汚い。1日中、パジャマでいますから、娘に疎まれて(笑)。昨年「これを着なさい」って、すごく高級なガウンをプレゼントされたんだけど、未だに壁に掛かったまんまです(笑)。週刊実話2000年 僕らは第二次大戦後ギリギリの世代ですよね。貧しさを知ってる。食べる物も甘い物もない、飢えてた時代があるわけじゃないですか。そうした戦後の混乱を生き残ってきた。今でもいざとなればなに食ってもやっていける、という気持ちがありますよ。週刊実話2000年 役での悩みは多いですね。かなりめめしいほうだから、すぐクヨクヨ思い悩む。この役は降りる、と言ったことが、過去に何度もあります。週刊朝日1996年 僕はずっと才能のないダメな役者だったけど、彼女(音無さん)によって本当に育てられてきたと思う。性格も暗かったのが、彼女の影響で明るくなった。そうやって助けられている部分がいっぱいあるから、問題があっても、夫婦の間は何も変わらない。週刊朝日1996年 つくづく、夫婦は難しいと思います。二十何年も一緒にいると、運命共同体のように思って土足で相手の領域に踏み込んでしまう。でも、それじゃいけないことが、最近ようやくわかった。週刊朝日1996年 【I do!I do!】もう一度やりたかった。結婚生活がバラ色ではないと分かる中年以降の場面を、十二年前はリアリティーを持って演じられなかったからね。僕も結婚して二十七年目。山あり谷ありの感覚を理解できるようになった。読売新聞2002年 最近考えるのは日本人の俳優である以上日本のものをやっていくことは1つのやるべき道だなということなんです。十何年も翻訳劇をやっていて思うのは、言葉や文化のギャップや理解できない感情がある。特に神に対する考え方とか教育の事とか僕にはどうにも理解しがたい部分だったり演劇ぶっく2002年 翻訳劇の言葉には日本語として成立していないものもあるんです。井上ひさしさんの戯曲などは、一字一句間違えられないくらい精査された言葉で作られていますから、聞いていて気持ちいい。演劇ぶっく2002年 たとえば風邪をひいても僕は漢方薬しかのまないんです。西洋医学を信用していないんですね、要するに(笑)。風邪をひくと葛根湯といつも決まってるんです。東洋医学は体質を変えて病気をなおすという発想ですよね。そういう部分にとても共感できるんです。潮2000年 【蜘蛛女】アッカーマンは芝居のリアリティを追及し、なぜこのせりふを言うのか、一字一句のせりふにリアリティを求める。感情のウソや心を閉ざすことを許さない。芝居としての表現より、自分の体からわき出る心の動きを重視する。本を百回読むことです。悲劇喜劇1995年 僕はもう本当に、家事も、父親としても、夫としても三流、四流で俳優としてしか存在できない。それはよく自覚してます(苦笑)。でもねやっぱり生活の中心は女房なんだよ。日本は女性が中心の社会なの。男はただ仕事をしているだけ。それで自分たちが何でもできると思いこんでいるんだ婦人公論2008年 【結婚当初】「子はかすがいという生き方はしたくない」なんて言ってね。でも俳優として家族の生活を支えていける自信がなかったのも本当だから、理屈を言ってカッコつけてたんだと思う。婦人公論2008年 娘が悪いことすると、かみさんに、「おまえ、叱れ。ぼくは怒ってきらわれたくない」。するとかみさんが、「ここできちんと叱るのが、あなたの仕事でしょ」って。反対になじられてますよ。婦人倶楽部1986年 役者っていうのは、あまりにも生活が安定してしまうとよくないって気がするね。何かちょっと不幸なほうがいい、役者としてやっていけるって思うんだなァ。婦人生活1986年 一九八九年三月四日。私の「レ・ミゼラブル」の初日。歌の先生、スタッフ、私の妻が感動の涙を流しているのを見て、トライした甲斐があったと感無量の思いだった。常に健康を気遣い、サポートし続けてくれた妻に紙面を借りて礼を言いたい。建設統計月報1994年 僕は、とにかくしつこいタイプで、勉強して勉強して、やるだけやらないと、人前には出られないんです。かんぽ2003年 やはり人の基本となる体を作るには、食事が大事です。舞台をやる時は妻がお弁当を持たせてくれたりするのですが、若い人はカップラーメンなどで済ませてしまう人もいる。だからか、今の若い人は体が弱くて、すぐ風邪を引いたりします。おウチDEごはん2009年 若いころは高慢だったから自分勝手に振る舞っていたね。でも、この年になると男は、あと何年元気に仕事ができるのかを切実に考えるもの。今は仕事の一本一本、夫婦生活のひとつひとつがとても大切に感じるんです。NHKためしてガッテン2007年 ふたりがぴったり合わさることは人間である以上ありえない。だからこそ、違いを楽しめると夫婦はおもしろいよね。NHKためしてガッテン2007年 舞台と客席が同時にスパークするような、こちらも感動しながら、客も感動しながら、そういった時間をより長く持っていたい。2006年ベガーズ・オペラ特典 【ハリソン・フォード】"偉大なる大根役者"みたいな、スターとしての魅力ですね。芝居はオールドマンみたいに考えるタイプじゃなく、表現も正統、王道っていうもので飛躍はないけど、彼が持つオーラみたいなものが画面を占めているんです。そこが面白い。DVD&ブルーレイビジョン2015年 映画にしろ舞台にしろ準備期間は長い。でも、吹き替えはすぐにやらないといけないし、収録も1日で終わる。だからテクニックがものすごく必要とされる。僕なんかはアテレコの仕事が多いわけじゃないんで、全然下手なんですけれども。DVD&ブルーレイビジョン2015年 【吹き替え】(声を当てる)俳優が何を表現したいか、どこに力点を置いているかを見付けるのが大事で、見付けたらそこに照準を合わせていく。それが面白いと言えば面白いですね。DVD&ブルーレイビジョン2015年 【最初にフォードの吹き替えの話が来た時】もう30年も前のことですけど、彼の映画が好きでしたからね。「へ〜、俺が?大丈夫かな?」と思ったけど、やってみたら意外と面白かったし、自分でもすごく合っていて格好良いと思いました…んなわけねえだろ(笑)。DVD&ブルーレイビジョン2015年 正直な話をすると、僕にとってアテレコは決して楽しい仕事ではないんだ。なぜかというと画面に映っている俳優の感情に合わせるので、自分の感情や芝居ではないからね。キネマ旬報2015年 【吹き変え】僕が現場に入るとき気にしているのは、第一声をどんな声にするか。第一声で演技の基準が決まるからね。それと、役柄の基準となるセリフを見つけることかな。キネマ旬報2015年 「絶叫マシーンはあまり乗りたくないですね。乗りますけど、好きではないですね」[最後に乗ったのはいつ?]「十年くらい前ですか」[結構最近乗りましたね。それは遊びで?]「ええ、もちろん、もちろん」[どなたと一緒に?]「あの……言えません」地井武男の音楽旅行2012年 [村井さん結構パソコンやりますか?]「いえ、ほとんど娘にやらせて僕は見るだけ。出せって言って出してもらって見るだけ」地井武男の音楽旅行2012年 初めてミュージカルの舞台に立ってからというもの、今までの舞台とはまた違う魅力に引き込まれてしまった。俳優としての幅をずいぶん広げられたんですよ。だからかなあ、僕に対してミュージカル俳優というイメージを持っている方が多いのは。週刊現代2012年 【ジャベの髪】昨年から自分の混乱と激情で頭を抱えた瞬間にバッと落ちるようにかつらを工夫してもらったんです。初めは落ちてくる髪の量やタイミングがなかなかうまくいかなくて、スタッフさんも毎日ハラハラしてくれていたんですが回を重ねるごとにスムーズにいくようになりました演劇ぶっく2001年 【I do!I do!】芝居をするのではなく、自分の中の感情を探り出さないと演じられないですね。リアルに、相手の息や皮膚を感じていかないと成立しない作品ですから。ミュージカル2002年 蜷川作品は、去年の「三人姉妹」に続いて2度目になります。真情あふるる軽薄さで演じた(笑)べルシーニンの演技が良かったから、今回もお声をかけて頂けたのだろうと(笑)、大変嬉しく思います。三文オペラ制作発表・ミュージカル2001年 2年前に「ブレヒト・オペラ」という作品でブレヒト自身を演じまして、ワイルの曲も何曲か歌わせて頂きました。今回はタイガー・ブラウン役ということで、最も敬愛する俳優の鹿賀丈史さんと、戦友にして泥棒と警視総監という関係を演じることができるのは、大きな喜びであります。三文オペラ制作発表 【フットルース】(高畑さんが)ショウに対していろいろ言うシーンがあるけど、すごく伝わってきて涙が出てしまうんです。泣いてはいけないシーンなのだけど、つい心が動かされてしまって。今、泣いておけば本番は大丈夫だと思うし、それを通り越せば、またいい芝居ができるかなと。ミュージカル2002年 【韓国でやるミュージカル】ものすごい熱いですよ。ハングルですから、強烈です。破裂音とか「カッ、カッ」というのが強いですから、熱く感じる。演技はちょっと古いかな。感情を入れすぎて、熱情で、演技のスタイルとしては。喉が強いから歌はすごい。大きさも高さも。地井武男の音楽旅行2012年 【子供の頃の遊び】今では絶対ありえないのは、汽車が来るのを鉄橋の上で待ってて、来たら下の川に飛び込むんです。今では考えられない。スタンド・バイ・ミーですよ、ホントに。危ないのは危ないって体験して知ってた方がいいですよ。地井武男の音楽旅行2012年 【子供の頃】「向こう三軒両隣、その町の近所が共同体でしたから」[お醤油の貸し借りをしたりとか]「そうそう、しょうゆうこと」地井武男の音楽旅行2012年 【昔あって今残っていて欲しかったこと】やっぱり人との付き合いですよ。人との付き合いが疎遠になっている。踏み入ること、踏み入られることも嫌だと、表面的な付き合いになって、寂しいという気持ちはある。地井武男の音楽旅行2012年 【子供の頃よく食べた印象に残るもの】カレーとかおはぎ。小豆が入ると母親がおはぎを作ってくれてね。これはもう大好きでしたね。今でも大好きです。差し入れはどうぞおはぎで。地井武男の音楽旅行2012年 ジムには週に2回くらい、まあ少ないですよ。1回1時間半くらい、筋トレもやります。あとはランニング。地井武男の音楽旅行2012年 僕はもう駅弁が好きでねえ。横川の峠の釜めし。これがねえ、もう横川止まらなくなっちゃったから、あれが残念ですよ。人と競って買う弁当ね。地井武男の音楽旅行2012年 本を読むことはほとんど(役作りの)勉強みたいなものですね。この間もアマゾンで引いたりなんかして、僕が欲しい資料は絶版のが多いんで、この間は神田に行って買ったり。それはもう仕事半分。地井武男の音楽旅行2012年 僕はね、ワルツまではできます。ブルース、サンバ、ルンバ、チャチャチャ。俳優座養成所で夏休みに、社交ダンス位してなくちゃいけないっていうんで、ワルツまではいったんだけどタンゴはその先で、そこまではいかなかったんですよ。地井武男の音楽旅行2012年 【好きな寿司ネタ】一番好きなのはコハダですね。つまり青いものが好き。だからベストはやはりシンコですね。コハダの小っちゃい、まだ幼い時の。春から夏にかけての、はい、大変おいしいですよ。地井武男の音楽旅行2012年 [舞妓さんと京都で遊んだりってありますか]「はい」[一緒に三味線に合わせて踊ったり?]「そうそう、いろいろ遊んだり。やっぱりそのくらいしないと。たしなみですよ」地井武男の音楽旅行2012年 [女性の髪は長いほうがお好きですか?]「ええ、そうかもしれませんね。ぱっとかきあげる仕草がね」[お好きですか?]「なんかうん、いいみたいですね」地井武男の音楽旅行2012年 コスプレね、僕秋葉原行かないからわかんないけど、すごいでしょ?はあー。やっぱりこう、変わりたいっていうのがあるんでしょうね。変身願望ね。僕ら変身してるからね。年中コスプレみたいなものだから。地井武男の音楽旅行2012年 【温水洗浄便座】「最初の時ホントにショックでしたよ」[現場どこでしたか?]「どこかのハウジング。押してみたら突然ピュッと出て、気持ちよかったですねえ。全部宿○が出ちゃったんじゃないかって。なんて汚い話してんだ。そのぐらいショックでした」地井武男の音楽旅行2012年 【一番好きな食べ物】「それはやっぱり、へへへ、奥様が作った料理だと思います」[特に好きな手料理は?]「和食ですね。だしは削り節はいろんな種類が置いてありますね。(料理によって)だしの取り方が違うわけですから。え?普通でしょ?一番だしからとるのが」地井武男の音楽旅行2012年 【好きな奥様の料理】「蓮根饅頭とか、海老しんじょう、茶わん蒸しもフォアグラを使った茶碗蒸しとか」[今うかがった三品は私の括りではお店で食べる物という…]「ええ?家で作るんですよ。パスタから全部作りますよ、ピッツァから」地井武男の音楽旅行2012年 最近は男性が料理上手ですねえ。(舞台の)昼夜の間にご飯持ってくるのは男の子ですよ。ちゃんとした料理を。村井さん食べてって。おー、ありがとうって。僕もピクルスを持っていきます。かみさんが作ったやつ。みんな喜んでくれます。地井武男の音楽旅行2012年 ブルース・スプリングスティーンが東京で(ライブを)やった時は二度ほど見に行ったんですよ。代々木のプールでやったんですよ。4時間立ちっぱなしでした。ブルース、やりっぱなし4時間。すんごいタフですわ。20年くらい前ですか。地井武男の音楽旅行2012年 京子・スペクター「和食は全然ダメです」村井國夫「わー、ショック」愛のエプロン2005年 音無美紀子「中におモチが入ってる。おモチ、おモチ」村井國夫「おモチろいね」両親に贈りたい旅2015年 すだちが悪いスダチ。両親に贈りたい旅2015年 こんなにまじまじ君(音無さん)の顔見るの久しぶりだもの。手なんか繋いじゃって俺もう恥ずかしくなっちゃった。手なんか久しぶりに握ったものね。両親に贈りたい旅2015年 あ、これ、みかんじゃないんだ。ぽんかんだ。いや〜驚いたね、ぽんかんとした。日経おとなのOFF 2016年 【芝居】忙しくても月に2本、普段は5、6本は見てるよ。趣味と仕事がいっしょになっているねえ。明星1992年 【ハリソン・フォードの吹き替え】でも、皆さんから「合うね」と言っていただけたんで、うれしく感じながらやっていました。その後もパチンコとかディズニーシーとかでもフォードの声をやったしね。美味しかったよ(笑)。DVD&ブルーレイビジョン2015年 さも酒呑みが好むような空間が好きなんだよね。一個人2004年 声に関しては僕は興味がありますし、自分の声にいつも意識をしているつもりです。ぷらざ2003年 【歌】四十歳までは本格的には勉強したことはなかったんです。今は、きちんと芸大の先生にレッスンを受けています。小さい頃から歌をやれって母からうるさく言われていたんですけどね。ぷらざ2003年 【俳優になってなかったら】もうなにも使いものにならなかったかもしれませんねえ(笑)ぷらざ2003年 佐賀は魚も肉も食べ物が美味しいですからね、やはり楽しみは昔に覚えた懐かしい味を食べてみたいと思いますね。ぷらざ2003年 結婚することが決まってから、昔、赤坂にあった料亭の料理教室で、妻が料理を習い始めたんです。本当に基礎から教えてくれて、妻の料理の腕はめきめき上達していきました。それから僕も家でご飯を食べるようになったということがあります。おウチDEごはん2009年 僕は中国からの引揚者で、昭和21年3月、1歳半の頃に引き揚げてきました。その時、父は中国で抑留されていまして、僕が小学校の高学年になるまでいなかったんですね。それで母の里である佐賀に帰ってきました。おウチDEごはん2009年 【好きな佐賀弁】じゅっちゃんぼ(ぬかるみのこと)。がばいスゴか!佐賀弁辞典2008年 [フォードの大根な演技に、村井さんの演技でプラスアルファを足していくわけですか?]村井「ええ、結構助けていると思います…って、そんなことあるわけないじゃない(笑)。それはないけど、まあ素敵であれば良いなと思いながらやっていますよ」DVD&ブルーレイビジョン2015年 村井「その後もパチンコとかディズニーシーとかでもフォードの声をやったしね。美味しかったよ(笑)」山路和弘「フォードで食っているようなもんじゃないですか(笑)」村井「そうなんだよ(笑)」DVD&ブルーレイビジョン2015年 芝居も大切だし、おもしろいけど、それ以上に大切なのが、家庭ですよ。婦人倶楽部1986年 真面目だったら役者なんかやっていません。それに、『あの人に抱かれたい』というイメージがないようなら、俳優なんかやめた方がいい。スリリングな危うさこそ役者の魅力ですからね。まあ、負けずにがんばります!婦人倶楽部1986年 斎藤憐の書いた『セツアンの善人』の焼き直しで『波止場の波と渡り鳥』というのをやった時に、上月晃さんが出てらして、彼女の推薦で『屋根の上のヴァイオリン弾き』のオーディションを受けて、パーチックを演ったんです。ミュージカル1997年 【屋根の上のヴァイオリン弾き】ミュージカルは好きでしたけど、自分の歌がどの程度のものかよく解らなかったという状態でしたね。作品自体は素晴らしく評判になったし、パーチックも良い役でしたが、自分では評価を把握できませんでしたね。ミュージカル1997年 僕は割と攻撃的な芝居をすることが多いんです。以前、「満月の人よ」という東くんの作品に出たんですが、その時の奥さん役が岡本麗さんで。こちらも天然で自然な方だったので、俺には丸っこい人が合うんだな、意識してキャスティングしてるのかなと思うくらい(笑)SPICE2016年 僕はもともと新劇俳優だよ!(笑) 昨今ミュージカル俳優という認識のされ方をしていますが、やっぱり「砦」のような芝居をやらなきゃいけない。自分が70歳を過ぎたからこそ強く感じます。自分の原点であった芝居というものをもう一度、ましてや日本人というものを演じたいです。SPICE2016年 インタビュアー「ならば、(砦の)稽古場はせめて明るくと…。」村井「僕がいるから明るいと思います。バカばっかり言っていますから(笑)」SPICE2016年 【鵜山仁さんについて】面白いこと考える人ですよね。俳優が考えつかないようなことを考えてくれるんで。ついやっちゃうんですけど、基本的には僕とは合わないんです...、うそです!合います、合います!面白いです。そうじゃなきゃこんなに(何本も)やってませんよ(笑)げきぴあ2013年 【ジャンヌ】僕はすごい緊張してますよ。(共演が)今井(朋彦)くんですからね。あいつはプレッシャーかけてくるんですよ、言葉で。言葉にすごい力がありますからね。僕はしゃべれる俳優じゃないからオタオタしますよ。げきぴあ2013年 20世紀は戦いの世紀だと言われていますが、21世紀はどうなのか。今でも世界各地でいろんな諍いがあり、多くの人が無為に死んでいくという状況があります。(そんな状況で)心を打つセリフがこの戯曲の中にいくつもあります。ショーの作品、心してかからなければと思っています。おけぴ2013年 『コペンハーゲン』という芝居で700ぐらいのセリフがあったのですが、(演出の鵜山仁さんに)1000以上のダメ出しをされました。「お前、ほめることはないのか!」って言った位ほめることがない人で(笑)。いつも刺激的で楽しい稽古場です。おけぴ2013年 僕はずっと『レ・ミゼラブル』のジャベール役をやってきましたが、彼(ジョン・ケアード)は通行人の一人ひとりにもその俳優と一緒に人生の物語を作り出す。表現とは「芝居をすること」じゃなくていかにそこで存在できるかなんだと、何度も感じさせられています。オーバードホールインタビュー2009年 僕は俳優という仕事をしていますが、色っぽさをいくつになっても持っていたいし、「あの人に抱かれたい」と思わせる存在でなくてはダメだと思ってます。だから容姿も汚れてはいけない、といったように自分で自分を律する気持ちも持つようにしています。「さくら心中」HP東海テレビ2011年 「恋心」はいつまでも忘れたくないですよね。いつまでも持ち続け、生涯現役のまま一生を終えられたら、こんなに素敵なことはないと思いますよ。「さくら心中」HP東海テレビ2011年 人間には上昇志向と同じく、下降志向というか自ら進んで転落することを望む気持ちがあって、行き着く先が"死"なのかな…。「さくら心中」HP東海テレビ2011年 僕自身、これまでの人生を振り返っても、若い頃は死に対する憧れもありましたよ。「死ぬことで、その先にあるものが見えるんじゃないか」なんて思ったり。「さくら心中」HP東海テレビ2011年 (井上ひさし)先生は、人間の中に内在している悪とか善を怜悧な目で見ています。そこから、日本人の戦争責任であるとか、日本人が負わなければならない罪過というものをはっきりおっしゃっています。日中友好新聞2010年 (1973年に井上ひさしの)藪原検校を見たとき、芸術史上主義というか、思想的なものを抜きにやってきた自分に、冷水を浴びせられた気がしました。日中友好新聞2010年 とにかく基本は大きな声を出せるという事。それと長く呼吸を使う、つまり息の使い方も上手にならないと、長い台詞の場合一気に言わないといけないことが多いんで、それはすごく気をつけてくだされば。ホリデーインタビュー2008年 やっぱり文化というものが、佐賀というところで割と少なかった時代に僕達は育っているわけですよ。だけど今はどんどん芝居も来る、文化も育ちつつある。地方でもそこの文化っていうものを育てなきゃいけない。少しでも僕らの経験がお手伝いできればと思ってね。ホリデーインタビュー2008年 【現実にあったダム反対闘争を描いた舞台・「砦」の主演について】安保法の成立などを見ても、もの言わぬ人で終わることの怖さを僕自身ひしひしと感じている。この芝居をやることが、今とても重要。発信できる喜びがある。朝日新聞2016年 「僕は少し皮肉屋」と意外な一面を明かす。他の舞台を見て、「思わず『ひどい』と言って帰ってしまったこともある」。この10年余り、スケジュールは舞台優先だ。舞台の魅力をこう語る。「自分に任される部分が大きい。誰が何を言っても舞台に立てばこっちのもの(笑)」。定年時代2011年 村井さんは「芝居以外の経験も演技に生きる時がある」と年を重ねる思いを語る。半面、「演技は場数でうまくなるものではない」とも…。今、最も警戒しているのは"慣れ"だ。「緊張感がないと下手になってしまう」と自らを戒める。定年時代2011年 手塚るみ子「今回1ヶ月の(火の鳥の)公演、相当な体力ですよね」村井「役者は体力です。後は僕みたいに顔が良いとか、声が良いとかという部分で助かってます(笑)それと知性も大事です」Earth Dreaming 2000年 私の役はオーベロンですが、今回のテーマは「エロ」でございます(笑)。どうセクシャルに演れるかということ……まぁ、妖精の方が人間よりセクシャルというのは困るんですけども、いかにこの年でそれができるか頑張りたいと思います(笑)。シアターガイドHP「夏ノ夜ノ夢」製作発表2006年 「今日の歌(ワン・デイ・モア)は僕いちばん嫌いな歌なんだよね、難しいから! 僕のいい声も出ないし」という村井さんは、本当は低音が響く『対決』とかを歌いたかったみたいです(笑)。「レ・ミゼラブル」チャリティーコンサート げきぴあ2011年 この舞台に関わった人が平等で、誰が偉いとか偉くないとか関係ない。それを教えてくれたジョン・ケアードに感謝します。2006年ベガーズ・オペラ千秋楽カテコ このなかで唯一デヴィッドの演出を受けてますが、もう23年も前で(笑)。23年間声がかからなかったというのは、大した役者じゃないと思われてたのでしょう(笑)。私としてはぜひ出たいと思いまして、志願出演でございます。演劇キック宝塚ジャーナル ルドルフ ザ・ラスト・キス製作発表2012年 デヴィッド(・ルヴォー)の何に惹かれるかというと、セクシャルなんです。舞台そのものがセクシャル。ラブシーンとか云々じゃなくて装置であり照明であり、すべてがセクシャルなんです。僕は舞台に必要なものはセクシャルだと思ってます。演劇キック ルドルフ ザ・ラスト・キス製作発表2012年 本当に丁寧に一つ一つ、最初の日は10ページも行かないくらいの演出の仕方で、本当に丁寧に丁寧に創りました。この世界がお客様にどう受け取っていただけるか、それが凄く期待でもあり、楽しみでもあります。シアターフォーラム キャンディード公開舞台稽古前会見2010年 僕はもうそのままで、役そのままの悲観主義者で、人生悲観しながら生きているので何の芝居もしないでそのままやっております。シアターフォーラム キャンディード公開舞台稽古前会見2010年 僕はジョンと3本の芝居をやっていますが、ジョンが一つ一つの言葉、一つ一つの感情を丁寧に掘り起こしてくれて、皆が上手く絡んで、ジョンが天才以外の何者でもなく、僕たちはただただジョンの世界で楽しんでいるだけです。シアターフォーラム ジョン・ケアード演出「夏の夜の夢」2007年 出演者からいろいろプレッシャーが掛かります。「あの不協和音は難しいよ」「歌がどっか飛んじゃうよ」と。本当に優しくって言ってくれている訳ではないんです。凄く意地悪な出演者です。でも何とか頑張りました!(場内拍手)。シアターフォーラム エリザベート東京楽カテコ2004年 1か月近い稽古ができるのは舞台ならではです。稽古では、自分がどんどん裸にされて、かっこつけていることが無意味だということを痛感させられます。稽古の間は自分の中でさまざまな葛藤があり、それが最高に面白いです。都民芸術フェスティバル「砦」稽古場訪問&インタビュー2016年 麻世さんのいいところとか、麻世さんのカッコいいところとか、なんとか少しでも盗みたい。僕のは盗ませないようにしようかなあと思ってるんですけど。「超大作!レ・ミゼラブル 豪華スターの意気込み」1999年5月ワイドショー 渋谷で村井國夫さんを見ました。2〜3人連れの女性とお芝居の話をされていて、一人の女性が「大阪公演とは舞台の配置が変わりましたね」と言うと村井さんはすかさず「えっ、アルプスの少女ハイチ?」とおっしゃいました。ダウンタウンDX 2006年 アナウンサー「ハリソン・フォード(の吹き替え)実は村井さんだったんですね?」村井「(フォードの声で)俺は蛇が大っ嫌いなんだ!…全然ハリソン・フォードじゃないですけどね」アナ「いや〜ありがとうございます」村井「なかなかいんでぃー・じょーんず?」スタジオパーク2006年 長女は寝つきの悪い子でね。何時間も抱きかかえていたんですけどなかなか寝ないんで、しょうがないんで自分のおっぱいあげようと思ってあげたんですけどね。奥さんは仕事でいないし。これが吸うんですよね、ちゃんと。吸うんですけど出ないですよね。ペッと吐き出されました。スタジオパーク2006年 どれほど育児というものが大変かわかりました。無防備で向こうはぶつかってくるじゃないですか。頼りになるのはここにいる父親と母親しかいない。それに全てを任すわけで、それをぽーんとしたりできない。それはもう辛抱強くやりましたから。色んな意味で辛抱強くなったかな。スタジオパーク2006年 【ダンディーの秘訣】いや〜、ダンディーですかね?まあ、健康であるということはもちろんあるでしょうし、やっぱり女性に興味があるということ…お美しいですね、有働さん本当に素敵だな〜。やっぱり色んなことに興味を持つって大事ですよね。(有働さん)美しいな〜。スタジオパーク2006年 【舞台の醍醐味】ライブということですよね。生に、ダイレクトに反応が来るという。それとまあ、苦しむということですね。作るまでが苦しいと。やっぱり俳優ってのは自虐的なところかなりありますから、自分を追い込んで追い込んでいくところの面白さっていうのがありますよねスタジオパーク2006年 [舞台の役作りは村井さんぐらいのベテランになられてもまだ苦しい?]ベテランじゃないですし、苦しいです。役を作るって自分じゃない他の人生を演じるわけでしょ、それはサイドストーリーっていうか裏の部分からずっと調べなきゃいけないし。スタジオパーク2006年 【今後演じてみたい役】僕はずっと外国の芝居が多かったんで、これから予定されてるのはほとんど外国の芝居なんですよ。だから日本の役っていうか、僕が興味あるのは鶴屋南北とか、そういったものを演じてみたいとは思いますね。スタジオパーク2006年 【息子さんとの会話】ほとんどシャレを…野菜を残したりすると「早く、食べなシャイ」とかつまんないことばっかりです。変な奴でオヤジギャグをすごく言うんです。息子から仕入れたものも結構あります。「コーディネイトはこうでぃねいと」とかね。スタジオパーク2006年 恵○○のホテルが僕の(シガーを)買うところなんですよ。シガーバーという。そこで一応、気取って(足を組む)。外から見えるんですよ、こういう風に鏡越しに。誰か見てるといけないと思って、やっぱり一応気取って(足を組む)。もうほんとに疲れます。スタジオパーク2006年 アナウンサー「それではサインをお願いします」村井「サイン、コサイン、タンジェント…」有働さん「絶対奥様とかお嬢様付き合うの大変だと思います」アナ「いやいやいや、楽しいじゃないですか」スタジオパーク2006年 地井だけでなく夏八木勲や林隆三など、ここ数年、僕の同期が次々に亡くなってしまった。いつか同期の連中を集めて芝居をやりたいと思っていたけど、その夢は向こうに行ってからになりそうです。週刊現代2015年 子どもなんて、うるさいだけで大きらいだったけど、だめですねえ。自分の子になったら、理屈ぬきでかわいい。とくに娘が相手となると、父親であると同時に、素敵な異性でもありたいから、怒りたくないんですよね。婦人倶楽部1986年 【同期生を失って】やっぱり辛いです。僕は18からなんですけど、もう50年以上つき合っているわけですよ。皆がすごく個性的で優しいんですよ。今でも残った3人、僕と長英君と小野君はしょっちゅう会ってるんですけど、やっぱり悲しい。何よりも悲しい。徹子の部屋2016年 徹子「何歳ぐらいにおなりに?」村井「もうすぐ72です」徹子「まだまだね」村井「そうですね、黒柳さんに先を行ってもらって、平さん仲代さんに先を行ってもらって、頑張りたいと思いますね」徹子の部屋2016年 【レミ】[夜・昼の時はご自分一人で夜・昼?]村井「そういうときもありました。最近はもう別々になさっているみたいですけど。僕たちの時は週11回のうち8回は僕やったりなんかしてたもんですから、当然昼・夜も…」徹子の部屋2005年 考えとしては5年が束ですね。ドン、ドンと5年ずつ来ましたね。昔は一年がいろんなことがあったので長いんですけど、今、一年やってることが、先の一年決まっちゃうでしょう、我々の場合、芝居とか。もう再来年とか決まっちゃうから、一年が早く来ます。徹子の部屋2005年 昔は遊びがものすごくあったんですよ。息子たち見てると、遊びはテレビゲームやったりとか音楽聴いたりとか、その程度なんですよ。僕たちは走り回って、うちに帰るといつも夕方ですよ。徹子の部屋2005年 [新劇の俳優さんていうのは随分たくさん出ていても、出演料が安くて暮らしていのが大変。そこへ行くと音無さんは随分あなたより収入が良かったんですって?]村井「もう何倍かくらいですかね?僕は本当に安くて、30いくつになるまで、レ・ミゼラブルやるまで本当に苦労かけて」徹子の部屋2005年 [細川俊之さん(ジャベール)受けてどうなったの?]村井「細川さんああいう風に柔らかい声ですから、ジャベールをやるにはちょっと無理というか、もっと厳しい声が…日本人には珍しく細川さんてまろやかな柔らかな声ですから、ジャベールやるには強いハードな声が必要だったんで」徹子の部屋2005年 [この景色があまりにも綺麗ですから、最近この道の名前が『キャプテンクックハイウェイ』から『グレートバリアリーフ・ドライブ』という名前に変えられました]村井「キャプテン・クック、泣いてるかもしれないよ。そんな名前に変えられて、クックッ、て」両親に贈りたい旅2016年 音無「七面鳥?」村井「どう見たって七面鳥だろう。七面鳥くさいこと言うなよ」両親に贈りたい旅2016年 270ステージという舞台を去年はやったんです。大変な量でしたけど、今年も3本ありますから、精一杯健康に気をつけてやりたいというのはありますね。還暦を迎えて残る本数、どれだけできるというのがあります。地方にいらっしゃる人ににどれだけ見せられるかというものもあります情報ツウ2005年 村井「私の(音楽の)先生・平野民子先生です」[(村井さんとは)17年前?]村井「若かったですね」平野「すごく声の品がいいんですよね。もう一つはセンスがいいです。遊んでらっしゃるから歌心があるんですよね」村井「裏はええかっこしいですから見せないようにしてるんです」素顔がいちばん2001年 【俳優座養成所時代】前田吟君が喫茶店の中で調理をしてまして、僕が運んで、ちょっと可愛い子が来ると前田が勝手に作って、僕が勝手に運んで、二人でクビになりました。素顔がいちばん2001年 夜11時位になると僕達が終わる、すると夜サンドイッチマンをしていた夏八木勲や小野武彦が、日給なんですよ。1000円で1割引かれて900円。僕達は月でもらうから現金がない。そこに行って二人で1800円、当時渋谷のガード下のとん平という店で食べさせてもらって。素顔がいちばん2001年 【妻】一言でいえば運命共同体みたいなものがあります。沈むのも浮かぶのも一緒みたいなところがある。俳優としても尊敬してる部分があるんで師匠でもあり弟子でもありみたいなところがあります。素顔がいちばん2001年 テレビってどっかで消耗しちゃうんですよ。舞台っていうのは逆にもらうんですよ。お客さんからももらうしお客との間でどんどんコミュニケーションできるから、エネルギーもらうんでああすごくいいなあと。舞台の上で倒れてもいいかなあ。素顔がいちばん2001年 【どりいみい7結成のきっかけ】俳優座養成所の卒業旅行があって、温泉に行ったんです。その時たまたまこの7人(竜崎、夏八木、地井、林、小野、高橋、村井)がお風呂に一緒に入りまして、道が皆ばらばらだから少なくとも一月に一回位は集まるグループを作ろうと。レディス4 2005年 地井君は田舎から出てきて野球選手の城之内邦雄さんのところに下宿していて、近所に音無の実家があったんです。音無が小学校の頃から地井君がかわいがっていて、音無は自由劇場も何度も見ていたんですよ。地井君を見に来てたんだけど、僕の方が良くなって。レディス4 2005年 【音無さんの第一印象】見ての通りふっくらとしてまして、とても育ちのよさそうな。地井君が「僕が子供の頃から可愛がってる子が主役をやるから、よろしくな」って。僕はよろしくしただけであって。あいつが頼むからよろしくしたのに、怒りまして。國夫だけはだめだって。レディス4 2005年 【音無さん】凄く穏やかでゆったりした人なんでこちらもゆったりしました。あんまりゆったりしすぎてほとんど仕事しなかったっていう。もうその頃音無さんは売れっ子で大変でした。非常に嘘のない芝居をするというか、非常に自然な。僕達変に教育受けたばっかりに堅いんです。レディス4 2005年 【どりいみい7】自分が認めてる人ですよね、皆、全員が。いい仕事してたり、いい家庭持っていたり、他の俳優ならクソって思うところが、この人達に関しては諸手を挙げて嬉しい。家族とまではいかなくても本当に嬉しい。レディス4 2005年 【音無さんの乳がん】僕はどうしていいかわからなくてただただオロオロ。もう何も手につかないです。女房が死んだら僕たちはもう生きていけないんだなって感じまで受けましたね。(女房は)一日でも早く退院したいから、リハビリは人の倍やってました。レディス4 2005年 かみさんが乳がんの宣告を受けた年なんですよ。レミのオーディションを受けたのは。もうなんとかしなきゃ、パッとしない2時間ものばかりやってましたからね。これじゃ駄目だ、役者としてもっていうんでオーディションを受けてみようという気になった。レディス4 2005年 自分がどこで求められているか、自分がどこで仕事ができるか、その中で自分を模索するってありますよね。その中で舞台、ミュージカルにめぐり会ったっていうのは非常に大きな転機だったと思いますね。レディス4 2005年 【蜘蛛女】僕は本当に嫌だったんですよ。レミを見たプロデューサーが、できる、絶対やれということで。割と軽い気持ちで稽古2日やって、3日目立ち稽古、4日目に僕、逃亡しました。もうとてもじゃないけどできない。レディス4 2005年 【蜘蛛女】監獄に入っているおばちゃんの役ですよ、ゲイの。岡本健一君の若い囚人が入ってきたら「あら、好きだわ」っていうね。そんなもの僕の中に全然ないわけですから。で、逃げちゃった。レディス4 2005年 【蜘蛛女】僕は降りるって、もう無理だって、別の俳優にやってもらえばいいじゃないかって。(それを)音無が降りちゃダメだって。今降りたら、次に困難なことがあった時にまた降りる。何千人のお客さんの前で恥かくこと位なんでもないじゃない、やれば?(って言われました)レディス4 2005年 【I do!I do!】[実生活とオーバーラップしてるんですね?]「ほとんどね。日常的なものなんですよ、結婚初夜から始まって80歳位まで演じるんですけど。中々面白い良くできた芝居です。夫婦でご覧になるととてもいい芝居です」レディス4 2005年 真実を描くには、5つの困難に打ち勝たねばならない。勇気、賢明さ、技術、判断力、策略を持たなくてはならない。これはブレヒトの言葉である。私は何一つ持ち合わせていない。それでも真実を描きたいと演劇を続けている。2014年Twelveパンフ すべての人がこんなに優しければ世界に争いがなく、幸せに過ごせるのではないのでしょうか。NEWS LOUNGE「今度は愛妻家」公開ゲネ 2014年 村井さんの優しいところは、若い役者さんに、心の中の襞を教えてあげていること。演出家はテクニックは教えるけど、なかなか心の中のことまでは手が回らない。でも、先輩の役者さんでも、心の中を教えてくれる人はいないですよね。(前田美波里)ミュージカル2002年 「ミー&マイガール」でご一緒だったんですけど、舞台ではいろいろ教えて頂いています。裏では?こんなに楽しく「エリザベート」を演じていいんだろうか?というくらい楽しい方なんです(笑)。拝見していて、?これは家風が合わない?って初めに思いました(笑)。(初風諄)ミュージカル2004年 「ブレヒト・オペラ」で共演させて頂いて、村井さんの役への取り組み、舞台への姿勢、稽古場での佇まい…全てが目から鱗でした。思い込みや噂は信用できないと思いました(笑)。その後「レ・ミゼラブル」のジャベールを見てまた驚きました。(春風ひとみ)ミュージカル2002年 とても僭越ですけど、私がやりたいと思っているミュージカルをきちんとやってらっしゃる方だと思いました。お芝居という太い幹があって、そこから枝葉が出て歌や踊りになっていく…という私の理想を実現している俳優さんが目の前に現れたんです。(春風ひとみ)ミュージカル2002年 (NHKドラマ「魂萌え」収録時)村井さんのお芝居で印象的なのは、一夜を共にした後、ブルーのスワロフスキーのネックレスをプレゼントして下さるその時に、「二人の記念に」ってあのいい声でおっしゃるんですよね。その声が耳について耳について、離れない。(高畑淳子)スタジオパーク2006年 音無は「生きてても地獄のようだった」と回想。自殺願望もあり、夫の村井に「死にたい」と告げたところ、「死んでもいいよ」。ただ、それだけで終わらず「でももう1年だけ生きてほしい。子供たちがまだ小さい。1年間くれたら君から家事を覚える」と続けた。スポニチアネックス2016年 僕の中でタカラヅカは異次元空間なので、この世のものとは思えないほどの美しさをただただ楽しみに行くだけ。「今日は楽しみに行く」と決め、心をゆったりと美しい世界にゆだねるんです。TAKARADUKA Revue2005年 他の芝居だと「この役者は…」とか「この芝居は…」などと役者の目で見てしまうんですが、タカラヅカは特別。TAKARADUKA Revue2005年 【お手紙は書くほうですか?】詫び状を書いたことはあります…それはそれで、心を込めて書きましたけどね(笑)。音無さんは僕に比べるとまめなほうで、彼女から長い手紙をもらったことも何度かあります。ala Times2016年 【お手紙は書く方ですか?】今自分は、メールどころかラインのようなショートメッセージばかり。「晩御飯どうする?」「今日はいらない」みたいにして毎日使っています。ala Times2016年 現在の東京一極集中の演劇界にあって、地方から本格的に演劇文化を発信していこうとする可児市の取り組みを本当に素晴らしいと思っていたので、やっと(シリーズ恋文vol.7の)出演が叶って嬉しい気持ちでいっぱいです。ala Times2016年 俳優が瞬時にいろんな役を演じることを要求されている。つまり、そこに存在価値があるかどうかを試されるわけです。そのためには、ホンを読む力が本当に大事だと。読めなかったら、演じることもかなわない。2017年ハムレットパンフ 口閉じテープの「ネルネル」は、アナウンサーの大沢悠里さんから勧められて10年使い続けています。役者はノドが大事ですから。それにいびき予防にもなるんです。週刊現代2017年 ジョン(・ケアード)とはかれこれ30年以上の付き合いになるかな。「ハムレット」で5作品目。彼は「プレイ(Play)」、遊ぶということと、「プレイヤー(役者)」を大切にしていて、役者の個性や発想を柔軟に組み入れて演出するのが抜群に巧い。元気読本2017年 (ハムレットの)とくに墓掘りは面白い役で、市井の人間でありながら哲学的なことを語る道化師的な役。その語りも"哲学を語ろう"というスタンスではなく、小市民が生きていく上で身につけた処世術ともいえる人生哲学を皮肉交じりで話すのが面白い。元気読本2017年 のどには気をつけているかな。舞台や洋画の吹き替えなどは安定した声質と声量が必要だからね。テレビから聞こえてきたハリソン・フォードの声がガラガラだったら視聴者もびっくりしちゃう(笑)。元気読本2017年 ラジオで元TBSアナウンサーの大沢悠里さんにすすめられた、特殊なテープを口に貼って寝ることは続けています。寝ている間に口呼吸しないように矯正するテープなんだけど、朝、起きたときの違和感が圧倒的に少ない、口の中が乾燥しない。風邪をひきづらいのも、これのおかげかな。元気読本2017年 ああ、最近、妻と二人で「酵素づくり」にハマっていてね。野菜や野草を春や秋の涼しい時期に10kg単位、70種類以上集めて大きな瓶に入れるんだ。それで集めた素材は刻んで、水を使わずに砂糖のみを入れて発酵させる。元気読本2017年 【酵素づくり】毎日、朝晩2回、手でかき混ぜて発酵を促すことで野菜や野草の酵素があふれてくるそうだよ。正直、健康効果はわからないけど、妻と二人で作業をするのは楽しいし、出来上がりも毎回、楽しみなんだ。元気読本2017年 私自身は健康をあまり意識したことがないかな。大病もほとんど経験してないからね。病気を経験して初めて健康の価値に気づくんだろうと思います。元気読本2017年 私が健康を意識せずにいられるのは、毎日、私の代わりに健康に気を使ってくれる妻の存在が大きい。感謝してもしきれないよ。つまり、そう、私の健康は、妻に握られているわけだ(笑)。元気読本2017年 歳を重ねると意識せずとも何となく毎日を過ごしてしまいます。同じことの繰り返しですから。でも変化のない日々は心を摩耗させます。だから私は、日々、「意識して」過ごすことを大切にしています。元気読本2017年 たとえば、「今日は本を一冊読もう」と、意識して目的を設定すると生活にハリが生まれるし、やり遂げようとチカラが生まれます。元気読本2017年 何でもいいんです、「今日は違う道を散歩する」「新しい料理を試してみる」というふうに、「意識して」日常を送ることで、毎日がもっと実りあるものになると思います。元気読本2017年 皆さんにもぜひ、「意識する」癖をつけて、生活に変化をつけることをおすすめしたいですね。変化はきっと皆さんの元気につながると思いますよ。元気読本2017年 いやいや、僕はベテランでも何でもありません。ただ古いというだけで(笑)。年をとれば完璧に近づいていくかというと、そうではなくて、いまだに失敗することも多いし、自分がベテランだなんて感じたことは1度もありません。私の職務経歴書2017年 僕は今年の9月で73歳になりますが、悠々自適な暮らしとは無縁で、いつもドキドキしたり、ワクワクしたりの毎日。若い人たちとの共演は刺激になるし、学ぶことも多いです。この年になってますます、俳優というのは素晴らしい職業だなぁとしみじみ感じるようになりました。私の職務経歴書2017年 僕のいちばん古い記憶は、疥癬(かいせん)という伝染性の皮膚病にかかって手や顔に包帯を巻かれているときのもので、栄養不足もあって病弱だった僕は、つねに母に甘えている、人見知りで引っ込み思案な子どもに育ちました。私の職務経歴書2017年 僕は4つも年上だった彼(竜崎勝・高島彩の実父)を精神的な支柱のように頼りにしていました。その竜崎が「國夫は大きな劇団に入るより、小さいところで実力を磨いたほうがいい」とアドバイスしてくれたので、迷わずそれに従ったんです。 私の職務経歴書2017年 【ターニングポイント】強いて言えば40代なかばで『真夜中のパーティ』という芝居に出演していたとき、共演者の細川俊之さんから「今度、『レ・ミゼラブル』という芝居のオーディションがあるんだ。村井くん、受けてみたら?」と誘われたときのことが思い出されます。私の職務経歴書2017年 「主人公のジャン・バルジャン追いつめる、ジャベール警部という役が面白いんだよ」という話を聞いて、オーディションを受けることにしたんです。俳優にとって、演じ甲斐のある役に出会うことは何よりの幸せですが、ジャベールとの出会いもまさにそのような出会いでした。私の職務経歴書2017年 ですから僕は、自分のためによかれと思ってアドバイスしてくださる言葉には、できるだけ耳を傾けるようにしてきました。人のアドバイスには、自分の目には写らない、意外な真実というものがあるからです。私の職務経歴書2017年 【蜘蛛女のキス】このときも、当時のマネージャーが「この役は是非やるべきです」と強く勧めてきたんです。自分のことを女だと思い込んでいるモリーナというゲイの中年男の役で、とてもむずかしそうなので何度も断ったんですが、とうとう説得されて、挑戦することにしました。私の職務経歴書2017年 【蜘蛛女のキス】このときの演出家はアメリカ人のアッカーマンさんという方でしたが、最初のセリフの出だしからダメ出しを受けて、一歩も前に進めませんでした。とにかくいっさい妥協を許さない演出で、「僕には無理だ」と思い込んでしまったんですね。私の職務経歴書2017年 【蜘蛛女のキス】当然、いつまでたっても僕が稽古場に現れないから、自宅にマネージャーから電話がかかってきました。僕は降りるつもりでいましたから電話にも出なかったんですが、かわりに応対した女房(女優の音無美紀子さん)が事情を知って、僕にこんなことを言ったんです。私の職務経歴書2017年 【蜘蛛女のキス】「1度逃げてしまったら、次にまたむずかしい役がきたとき、同じことをすることになります。1回の公演で恥をかくくらい、なんでもないことなんだから、お出になればいいじゃないですか」と。この言葉のおかげで、僕は稽古場に戻ることができました。私の職務経歴書2017年 『蜘蛛女のキス』は2人芝居なんですが、共演者の岡本健一くんにも懇々と説教されましたよ。岡本くんは僕より25歳も年下なんだけど、本当にいいアドバイスをしてくれましてね。私の職務経歴書2017年 【蜘蛛女のキス】大変な思いをしたけれども、この舞台に立つことができたことは僕にとって、とても大きな出来事でした。このときほど、自分を支えてくれている周囲の恩人たちに感謝したことはなかったです。私の職務経歴書2017年 【SAGAパーフェクトシアター】彼ら彼女たちの芝居を見てみると、流暢にセリフをしゃべるのだけが演劇ではないと思わせられましたよ。トチったり、絶句したり、ぎこちないセリフでも、お客さんはみんな楽しんでる。私の職務経歴書2017年 【SAGAパーフェクトシアター】逆に、次に何が起こるかわからないからスリリングで舞台から目が離せないんです。まさにライブの魅力で、演劇の原点ですね。最近ではさすがに演技もこなれてきましたけど、相変わらず飽きさせない魅力でいっぱいの劇団です。私の職務経歴書2017年 【理想の俳優像】僕の場合、自分から「こうあるべき」というイメージを持つのではなく、まわりにいらっしゃる素敵な先達の背中を見て、ここまでたどりついてきたという感じです。私の職務経歴書2017年 【平幹二朗さん】遺作になった『クレシダ』を拝見させていただきましたが、80歳を過ぎているとは思えない素晴らしい演技に感動させられて、涙が止まらなかったですね。こういうことを経験するたび、「僕なんかまだまだ。頑張らなきゃ」と思うんです。私の職務経歴書2017年 年をとれば人間、誰だって衰えていきます。だけど、衰えた姿をそのままさらけ出しても、立派な表現になるんですね。そんな素敵な先輩たちが、僕が進むべき道を照らしてくれているような気がします。私の職務経歴書2017年 僕はこれまで、何度か演劇界の賞をいただいていますが、そのとき、まっ先に「よかったな。おめでとう」と声をかけてくれるのは同期の仲間たちなんです。嫉妬心なんか、微塵もありません。私の職務経歴書2017年 【俳優座養成所15期の仲間】まるで自分のことのように僕の受賞を喜んでくれる。自分が賞をとったことより、そのことが何よりもうれしいんです。私の職務経歴書2017年 先日、僕が出演した芝居に夏八木の奥さんが観に来てくれました。そして終演後、「パパ(夏八木)の分まで長生きして、ちゃんとやってね」と声をかけてくれたんです。胸がいっぱいになって、「うん、頑張る」としか言えませんでした。私の職務経歴書2017年 素敵な先輩と同輩、そして若い後輩の存在があるからこそ、僕は俳優を続けてこれたのだし、これからも彼ら彼女らの期待に応えるよう、頑張っていくしかありません。私の職務経歴書2017年 自由劇場は、僕が養成所を卒業する前に作られたのですが、ぜひ一緒にやらせていただきたいと参加しました。借金して照明器具を買うような状況でしたが、僕は映画にも出ていましたから、そこで多少の金はもらえていました。週刊ポスト2017年 映画に出たての頃の演技は正直言って酷かったですね。舞台しかしたことがなかったので、芝居が大きいんですよ。何かを演じなきゃという気持ちが強かったんでしょう。でも、それは画面から外れる演技なんです。週刊ポスト2017年 それで斎藤(憐)さんに『吉本隆明の本を読め』と言われ、読んだ後は『次に読むものは自分で考えろ。それを読んだら次に何を読めばいいのか分かるはずだから』と。そうやって役に臨む前に状況を徹底して調べるのが今でも癖になっています。週刊ポスト2017年 お二人(斎藤憐、佐藤信)から教わったことは大きいですね。たとえば、佐藤さんは一つのセリフを言うにしても、その言葉がどこから発想されたものなのかを聞いてきます。それは相手の言葉を受けてどう心が動いてそのセリフを言っているのか考える、ということです。週刊ポスト2017年 この人物は『僕は』を言いたいのか、『あなたを』を言いたいのか、『愛しています』と言いたいのか。それをホンの前後から見つけていく。ですから、今でも日本語には敏感で、若い人が語尾にばかり力点を強く持っていったりすると気になります。週刊ポスト2017年 たとえば『僕はあなたを愛しています』というセリフの場合、『僕は』なのか『あなたを』なのか『愛しています』なのか、どこに力点を置くかで相手への心情は全く変わってきますよね。この人物は『僕は』を言いたいのか、『あなたを』を言いたいのか、『愛しています』と言いたいのか週刊ポスト2017年 悪を演じるのは好きですね。人間というのは欲望で生きている部分があります。良い人はその欲望を押し殺しているところがあって、悪はそれをもろに出しているわけですから。そういったものを内包している役柄が好きですね。二枚目は面白くない。週刊ポスト2017年 劇団は食えなくて四年ほどでやめちゃいました。主体性のない男でした。それでテレビに活躍の場を求めました。その頃はテレビも元気がありましたから。週刊ポスト2017年 でも、テレビをやっているうちに、二時間モノとかの同じような事件が起きる話ばかりになってホンもつまらなくて、自分の生きるべき場ではないと思えてきたんです。それで自由劇場の頃の演劇へのときめきが沸々と甦ってきたといいますか。週刊ポスト2017年 そんな時に、養成所の同級生の高橋長英と太地喜和子が井上ひさしさんの『薮原検校』という舞台をやっていて、本当に愕然としました。『俺はテレビでいったい何をやっているんだ』と、頭を殴られたような衝撃で。週刊ポスト2017年 長英君、小野武彦君、三田和代さん。同期の舞台は今も観に行きますし、みんなも観に来てくれます。友人たちが僕を奮い立たせてくれる。一緒に成長しているような気がしています。週刊ポスト2017年 【レミ】ジョン(・ケアード)はリアリティを大事にする演出家で、たとえば僕を真ん中に立たせ、共演者に囲ませて全員に質問をさせるんです。その役の生まれ、兄弟、恋愛観、セックス観、どんな病気をして、今は誰と一緒にいるのか。いい加減でもなんでも答えないといけない。週刊ポスト2017年 それを一人ずつ全ての役者に徹底的にやらせる。そうすると、答えているうちに自分の中で役のイメージが出てきます。多くのミュージカルでサイドストーリーをそこまで考えさせることはないのですが、そこまでやらないとリアリティはなかなか出てこないと思います。週刊ポスト2017年 ジョンとしては、ジャベールは生肉を食っているようなイメージでしたから、初演の時にジャベールもやっていた滝田くんの方が合ってはいるんですよ。ですから、ちょっと違うスタンスで行きました。週刊ポスト2017年 牢獄の囚人の子供として生まれて、法が絶対だと子供のころから叩き込まれて大人になったという情に欠ける人間が、ジャン・バルジャンに出会い彼の情によって助けられる。そこで彼のアイデンティティが全て崩れてしまうんです。週刊ポスト2017年 劇中『星よ』という歌があります。星は常に動かないけれど、地上を見ている。ジャベールもそのように法で人間を見てきたけれど、ジャン・バルジャンに人の心を説き伏せられ、全てが崩れ落ちて何がなんだか分からなくなる。週刊ポスト2017年 そういう、人間の情に生きるジャン・バルジャン、法に生きるジャベール、それに庶民の生活に生きるテナルディエという三人のトライアングルであの芝居はできていると思い、『法を信じる男』としてジャベールを演じようと思いました。週刊ポスト2017年 【レミ】八百回ぐらい公演をやりましたが、飽きたと思ったことは一度もありません。一回一回に緊張感がありますから。いつも観客が違う、季節も違う、風も匂いも違う。それに相手役の出方も違うんですよ。週刊ポスト2017年 そして、僕が最初に出した第一声の音も違うことがある。同じ声が毎日出るわけではないですから。その日の調子で作っていく。だから、飽きないんです。週刊ポスト2017年 でも、声優の方の芝居って苦手でして。なだぎ武さんがモノマネしている通りで、セリフの頭に必ず『っや』って妙なアクセントが入るんですよ。『っや、それがね』というアテレコ口調。それが嫌で嫌で。僕は『それがさ』って普通に言っていて、そこがハマったのかもしれません。週刊ポスト2017年 ハリソン・フォードは凄く素敵な役者ですが、あくまで『スター』であって、『上手い役者』ではありません。ですから、彼が芝居しているヒーローの魅力を壊さないようにしつつ、演じ切れていない部分を助けるという気持ちでやっていました。週刊ポスト2017年 ただ、最近になって観た彼(ハリソン・フォード)の作品ではすごく上手くなっていた。役者というのは、ちゃんと愚直にやっていけば花が開くんだと思いました。僕もそうなる時を期待しながらやっています。週刊ポスト2017年 正直に言うと、誰かの芝居に声をつけるのは好きではないです。週刊ポスト2017年 この間『美女と野獣』(の吹き替え)をやりましたが、それはオーディションがあったからです。この歳になると、オーディションを受けることはありませんから、面白いと思ったんです。五十年以上も役者をやっていると、どこか慣れが出てしまいます。常に刺激を受けていたい。週刊ポスト2017年 平さんとは『オセロー』で共演させていただきましたが、その時は『大きな芝居をする人だ』と生意気にも思ったりして。でも、それはただの不遜でした。いろいろな芝居を観ていくと、遥かな彼方にいらっしゃると思って。そういう先輩を目標にできることがうれしいんですよ。週刊ポスト2017年 最後の芝居となった『クレシダ』も凄かった。小野武彦と観に行ったのですが、観終えたら二人ともしばらく客席から立てなくなりました。『おい、参ったな』『ああ、参った』『あの平さん、なんなんだ』って、そんなことばかり言っていましたね。週刊ポスト2017年 自分としては、乾いた芝居ができたらいいな、と思うことがあります。日本では橋爪さんですね。あの乾いた、なんの情緒も入れない芝居をするヅメさんは素敵です。週刊ポスト2017年 【橋爪功さん】情緒をギリギリまでそぎ落として、それを笑いに持っていったりする。僕らはつい何かをしようとしてしまうんです。でも、ヅメさんは、ただ普通に何かをおっしゃるだけ。そこがやっぱり素敵です。週刊ポスト2017年 仲代達矢さん、奈良岡朋子さん、金内喜久夫さん、ヅメさん。稀代の盟友といえる先輩たちの背中を見ながら生きているのは、楽しいですね。ですから、『まだできる、まだできる』と思いながら、自分で芝居の限界を作らないようにしています。週刊ポスト2017年 ガツガツと食べる若い人の姿を見るのは気持ちがいい。僕も戦後の貧しい時代、兄弟と競うようにご飯を食べていたから、今でもついガツガツと早食いをしてしまう。食べ物に対する貪欲さが、パワーにつながるような気もするのだ。僕も若い頃は、先輩たちによくご馳走になっていた。週刊現代2017年 有明海は干潟の海。時の移ろいとともに満ち引きをくり返す自然の力が、日本一の佐賀海苔を作ります。大地の恵み、ほかほかのご飯と一緒に召し上がれ。佐賀海苔 名刺のりプロジェクト2017年 夢は現実。遠い夢は見ていない。できる夢は見る。できないものはみることはしない。できると思って試行錯誤を重ね、現実にしていく。そういうものですね。今は時間的な余裕がないので、あと何年で何本できるのだろう。さがんもん2005年 【俳優座養成所に入った理由】(一年先輩の)辻さんがいたから。それに、仲代達矢さん、山崎努さんなど映画であこがれの俳優が出身だった。在籍した三年間は演劇に必要なすべて、朗読、発声、肉体訓練に明け暮れた。都会出身者相手に負けまいとして、精神的には疲れもあった。さがんもん2005年 【村井さんにとって佐賀とは】まずは、人がいないということ。でも、佐賀には変わってほしくない。佐賀は好きで、誇りをもっている。空港を降りたときに実感する。自然に恵まれ、大きな山があるわけでもない。豊かな田園が残っている。さがんもん2005年 【少年時代の佐賀の思い出】少年時代は日が暮れるまで家に帰らず、野球をやったり、夏はプールで泳いだり。また、自分たちで「遊び」を作ってましたね。友だちの家で遅くまで遊んでそのままご飯をごちそうになったりした。さがんもん2005年 【少年時代の佐賀の思い出】悪いことをすると近所の大人が子どもをひっぱたいたりした。地域社会のなかで子どもたちは生き、そして、育っていく。子どもも社会の一員だという意識があった。さがんもん2005年 【少年時代の佐賀の思い出】スーパーじゃなくて小売りの店ばかりだったし、みんながお互いを知っていた。子どもを狙った事件なんて起こりようがない。佐賀に限らず今は地域コミュニティーがほとんどないと思う。さがんもん2005年 夢を抱ける様な歳でもないので、今日が元気でいられたら幸せです。出来れば明日の朝も目覚められたら。2018年戯伝写楽2018パンフ 色々と道楽もありましたが、今は何もありません。芝居をする事が最高の道楽になりました。2018年戯伝写楽2018パンフ 最近、身体の具合が悪く、病院で内視鏡検査をしました。その結果が出る迄の時間、恐怖に震えていました。あぁ自分は弱虫だなぁと感じた。自分の内の真実です。2018年戯伝写楽2018パンフ 【村井國夫を「色」にたとえると?】燻し銀 時々 紅色 ギラッとした輝きを経て錆を塗しくすんだ輝きが、「お前まだまだだな」と教えてくれる。そしてどうしても隠せない色気とチャーミングさを持つ村井國夫は僕の憧れです。(橋本さとし)2018年戯伝写楽2018パンフ (東山義久さんに)でも若いんだから、精神としては他人の芝居のことを「下手だなあ」「大したことねぇなあ」くらいの気持ちでいたほうがいいよ。俺なんて、若いころはずーっとそう思っていたからね。2018年戯伝写楽2018パンフ 最近は、映画なんかで若い俳優と共演すると「いいなあ」と思うことが多くて。俺たちがこれまでに培ってきたものなんて何の役にも立たない、と感じるようになってきました。若い人たちとは、やっぱりリズムやテンポが違うからね。2018年戯伝写楽2018パンフ 【役者】21歳から始めたから53年目だね。僕よりも長くやっている俳優さんはだんだん少なくなってきたなあ…。2018年戯伝写楽2018パンフ どうしてこんなにつまらないことをやっているんだろう、と思う自分がいる。経験が邪魔をして古臭い芝居をしてしまっているかもしれないな、そうしないためには常に精神をヴィヴィッドにしておかないといけないな…とここのところ反省することが多いんだよ。2018年戯伝写楽2018パンフ 全然謙虚なんかじゃないよ。生身、裸身を晒すことが恐ろしくなってきたのかもしれないな。昔はそんなことも恐れることなくやっていたんだけれど。だからね、若いうちは傍若無人にやってほしいんです。2018年戯伝写楽2018パンフ 僕のことはホッテントット スペリング・ビー2009年 俺はお前のカドミウムだ コペンハーゲン2007年 一言で言うと「変な人」です。お酒が飲めないけど酒の席にとても似合う人です。特にホテルのバーにぴったしです。隣に美しい女性がいたら最高の絵になります。笑うと、顔がクシャクシャになります。(市村正親)2001年大阪から来た女パンフ そんな村井さんに僕は良く「ねえ、今回の芝居観に来てよ」と言うとすぐに来てくれます。そしてシビアな貴重な意見を残してくれます。ありがたい先輩です。だから僕も村井さんの芝居を良く観に行きます。いつか二人でボロボロになる様な役で共演出来たら良いな(市村正親)大阪から来た女パンフ2001年 そうそう、村井さんは結構淋しがり屋です。食事をしている時、携帯電話をテーブルの上に置きポツリと一言、「誰も電話をくれねえな、いつもおごってやってるのに」と、淋しそうに携帯を見つめています。(市村正親)2001年大阪から来た女パンフ 村井さんは、昔から舞台も見ていて、すてきな役者さんだなと思っていました。エネルギーがものすごい。色っぽいですし、存在感もとびきりでいてお茶目なところもあって、ぴったりだと思いました。「失ってはならないものがある」 東憲司が語る舞台『砦』2018年SPICE 喰種(グール)は、人肉を食う事でしか生きられぬ種族。不快感を持つ人もいるだろう。しかし、底に流れるのは、愛なのです。自分の正義の為、種族への愛のために闘うのです。その愛の深さに感動する事は、間違いありません。『東京喰種』コメント http://CINRA.NET 2017年 村井さんとは「東京喰種」でもご一緒で、「東京喰種」の舞台挨拶のときにもお話させていただいたんですが、とにかく面白い方で、お話もどこまでが本気でどこからが冗談なのかわからないんですよ(笑)。(鈴木伸之)CINEMA FIGHTERSパンフ2017年 ジョンの演出の面白さはその現場で何もない所から色んなイメージを沸かしてくるんですね。もちろん計算も立ててくるんでしょうけど現場に行くと大いに違ってくる。劇場に入ってからも凄く変わるんです。そういうジョンのマジックというものを僕はたくさん見ています。ハムレットインタビュー2017年 何とかこの窮地を打開しようとして色んな手を打つわけなんですけど、本当に心優しい、私には全く似合わない様な役なんですけど、一生懸命演じたいと思います。多分ちょっと嘘くさい神父となるかと思いますけど、ま、そこは一つご勘弁願います。「シスター・アクト」コメント映像2014年 私去年から今年にかけて神父の役を3度めであります。この前のモンテ・クリスト伯ではファリア司祭という非常に高潔な人物を演じておりました。今度のオハラ神父という役で後半にはもうちょっと派手な衣装を着せて頂けるんではないかとそれを期待しているわけですシスター・アクトコメント映像2014年 俳優というのはマゾヒスティックなところがありますから、そこからバネとして作り上げていくというものですから、もちろん瀬奈さんとも葛山くんともストレートでご一緒するのは初めてですし、どういうセリフということをどう感じて演じられるかそれは楽しみでもあります。今度は愛妻家インタビュー2014年 【鵜山仁さん】言葉が何言ってるかわからない時があるんです。鵜山言語と言いまして、これを理解するのに数年かかりましたけれど、最近は大体言いたいことも少しずつわかってきました。今度はなるべくわかりやすい演出をしてあげてください。「ジャンヌ」メッセージ2013年 「ハリソンとゲイリーは17年ぶりだけど、俺たちは舞台で共演したり、常々会っているからね」と笑い、「俺らは決して相手を褒め合わない」と村井が言えば、「けなし合いと足の引っ張り合いはするけれどね」と山路。シネマトゥディ『パワー・ゲーム』吹き替えについて 2015年 シリーズ恋文、これを私村井國夫と女優の音無美紀子さん、音無美紀子さん…聞いたことある名前なんですけど多分うちにいる女優さんだと思います。ご一緒に恋文を読みたいと思います。朗読公演「シリーズ恋文vol.7」メッセージ 能代市役所2016年 とても感動的な話だったり胸が痛くなるような話だったり、昔のことを思い出すような話、本当に温かい作品、恋文がたくさんあります。読む方もちょっと照れるんですけど、その照れを克服して感動的な話にしてあげたい、作り上げたいと思います。朗読公演「シリーズ恋文vol.7」能代市役所2016年 女性のアンサンブルの着替え室です。ここに衣装があります。この中でずーっと着替えるわけです。これを一つ一つ合わせると600点以上になります。スーパーニュース「レ・ミゼ」を楽しむウラワザ 2001年 俳優さんが楽屋に戻る時間というのが全然ないんです。みんなこういうところ(着替え室)で着替えたりしてます。ナレーション「レ・ミゼラブルでは31人の出演者が350人もの役を演じています。ですから一人で20回近く着替える人も」スーパーニュース「レ・ミゼ」を楽しむウラワザ 2001年 この隣がこの舞台の中で一番かっこいい役ですね。ええ、もう誰もがやりたいという役、ジャベールですね(笑)私がやっている役です。(ジャベールの)早替わり室です。N「ジャベールの衣装などおよそ30点、中には貴重な衣装もありました」スーパーニュース「レ・ミゼ」を楽しむウラワザ 2001年 これは実は鹿賀さんが着てた(コート)、鹿賀さんが最初にジャベールをやっていらしたんです。それを僕が譲り受けて12年以上着ているんですけれど。スーパーニュース「レ・ミゼ」を楽しむウラワザ 2001年 なぜ新しいものにしないのかというと、生地がもうないんですね。これは命の次に大事なコートです。これで僕はすべてを守られているという感じ。もう、かっこいいでしょ?パ〜っとね、コートね!スーパーニュース「レ・ミゼ」を楽しむウラワザ 2001年 N「ジャン・バルジャンがコゼット宛の手紙を盗み読むこのシーン、この手紙も舞台裏で発見」これ、ちゃんと書いてあります。ちゃんと日本語で。バルジャン日本語読めるんで。日本語で書いてあります。スーパーニュース「レ・ミゼ」を楽しむウラワザ 2001年 N「マリウスがもっている法律書の話も」これはもう本当の法律書なんです。ちゃんとフランス語で書いてあります。はあ〜、「破産法」…日本語でした。スーパーニュース「レ・ミゼ」を楽しむウラワザ 2001年 これは私が最初やった時からず〜っと使っている警棒です。もうかなりの年季が入って、手に馴染んでいるんで、もうどうなろうがもううまくこう…、アイタ!スーパーニュース「レ・ミゼ」を楽しむウラワザ 2001年 これはですね、この中に逃げるようにできている。けっこう深いですよ。森さんと斉藤さんがここから上がるんですけど、え〜頑丈にできてます、けっこう。もともとはそんなに頑丈じゃなかったんですけど、森さんが入ってから頑丈にしています。スーパーニュース「レ・ミゼ」を楽しむウラワザ 2001年 誰か私に抱かれてエポニーヌの役を…気持ちいいよ〜、はい、座って。キスはしなくていいからね!こういうふうに、で、白いカーテン(光)が当たって…死んでいくんです。スーパーニュース「レ・ミゼ」を楽しむウラワザ 2001年 バックステージツアーをやると、「あっ、芝居っていうのはこういうふうに作っていくものなのか」「あっ、こういうふうに小さいことにこだわっているのか」ってことをお客さんが興味を持っていただけて新しい興味でまた(舞台を)見て頂けるのは非常にいいことだなと思って「レ・ミゼ」を楽しむウラワザ2001年 【ジャンヌ】非常に厄介な人物だと思います。なおかつシンパシーを感じずにいられない。笹本さんが魅力的にできるかどうかがカギですね。玲奈が魅力的にやってくれればくれるほど、私たちの役も引き立つというわけです(ニヤリ)。「ジャンヌ」制作発表2013年 この戯曲には「キリストの受難だけでは足りない、もっともっと犠牲が必要なんだ。想像力のない人間のために」というセリフがあります。また最後のセリフにも胸を打たれました。心してかからなければと思っています。「ジャンヌ」制作発表2013年 それ(稽古初日から台本を持たない)は平(幹二朗)さんと『オセロー』で一緒に仕事してからなんです。平さんが稽古初日に台本を持っていらっしゃらなかった。そこから僕も持たないことにしたんです。演劇キック 観劇予報2018年 個人の力で国と対峙するということは大変な覚悟と勇気がいるんですよね。それを行った室原さんの心情などは察するに余りあって、これをどう表現していけばいいのかずっと考えています。もちろん我々俳優も色々なものとつねに闘っているわけです、自分自身とも闘っている。観劇予報2018年 【砦】僕の役者人生の中でも、これほどに自分のすべてをかけてやれる役はそうそう出会わないと思っている。演劇キック 観劇予報2018年 大好きなんですよ。グロリア・エステファンが。私も"ラテン"ですからね。(笑)Tokyo FM ディア・フレンズ2008年 【砦】13年にもわたる執拗な抵抗、その力がどこから来るのかを探りだすのが大変で。僕にはそのしつこさや執拗さはないですし。もちろん権力に対して反抗しようという気持ち、権力にだまされないようにしようという考えはずっと持っていますが。SPICE2016年 60歳を過ぎてから「ありがとう」と言うことが増えてきました。SPICE2016年 【蜂の巣城闘争】(ダム)建設によって住処が水没する住民への保障を国がきちんと考えていくようになったのは、この事件以降です。非常に大きな問題提起だったと思います。ただの抵抗ではなく、後の公共事業のあり方についても考えさせる提起をしたと感じます。SPICE2016年 【砦】インタビュアー「後半、ヨシさんがずっと作っていた「旗」の意味がわかると、思わず胸が詰まります」村井:台本を読んでいても毎回その場面はダメなんですよね。自宅で読んでいて、はあっと涙がね。十数年間の闘いと、そのときのヨシさんの心情で必ず泣いちゃう。SPICE2016年 【俳優座養成所15期の思い出】いやもうね喧嘩ばっかりですよ。乱暴な奴が多かったんですよね。空手やってたりとかね。夏八木(勲)なんか合気道やってたり。地井(武男)なんかもそうですしね。伊集院光とらじおと2017年 【俳優座養成所15期の思い出】喧嘩とね、あと女の子の取り合いね(笑)。栗原小巻さんは圧倒的な人気でしたね。それで(太地)喜和子ですね。もう喜和子は素敵でした。伊集院光とらじおと2017年 【俳優座養成所15期の思い出】まあみんな貧しかったからお互いに助け合ってみたいなところはありましたね。東京にお家のある人のところへ行きました。ご飯食べに。小野武彦とかね。とても歓待してくれてね。凄くそういう意味では助かりましたね。伊集院光とらじおと2017年 僕は佐賀っていう田舎から出てきて、18の、それこそ学生服しかないような、ところが(俳優座養成所に)入ったら夏八木がいるわ、何がいるわで、ただただビクついていました。劣等感のほうが多かったです。みんなほんっとに素敵でした。伊集院光とらじおと2017年 【同期で一番凄いと思っていたのは?】やっぱり(原田)芳雄君は別でしたね。いやもう雰囲気がすごいし芝居なんか、彼は僕より4つくらい上でしたから大人な雰囲気もあったしやんちゃなところもあったし歌はうまいし。とてもじゃないけどこいつにはかなわないと思いました。伊集院光とらじおと2017 夏八木も4つくらい上でステキなインテリでしたしね。ほんとにインテリ多かったですね。一番喧嘩したのは小野ですかね。あれと地井はほんとに喧嘩っ早い。(地井は)正直なもんだからもう不愉快だとすぐ顔に出てるし。もうバリバリの若者って感じでね。伊集院光とらじおと2017年 【なんであいつ出なかったんだろうって人いますか?】そりゃいますよね。上手いとか下手だけでは出てこれないこともあるでしょう。才能があるのにってことはありますよね。やっぱり運でしょうね。僕なんか顔がよかったから(笑)早くに出たんですけどね。伊集院光とらじおと2017年 私村井さんの娘さんの麻友美ちゃんと一緒に芝居して旅ずっとまわってたんですよ。夜着くのが遅い時間になって、東京駅の改札口に村井さんが立ってて『あっ、麻友美、麻友美』荷物持って全然優しいお父さんなの!画面で見たことない!(柴田理恵)伊集院光とらじおと2017年 【鶴田浩二さんのすごいのはどこか?】立ち姿そのものが色っぽいんですよ。いるだけで色気がもうね。だから女の人、「今日食事行こうか」って鶴田さんが言ったら「はい」って催眠術にかかったみたいに。そりゃあ素敵でした。(高倉)健さんもそうでした。伊集院光とらじおと2017年 【映画の『スター』は若手には優しいのか?】優しい人もいますし若山富三郎さんみたいに怖い人もいますよ。(若山さんは)怖い、礼儀、しつけ、所作、だからすごく勉強させていただいた。刀のさし方からそりゃあ怖かったですよ。伊集院光とらじおと2017年 伊集院光「村井國夫さん出演されます舞台です。Japanese Musical 『戯伝写楽2018』、写楽の話」村井「しゃらくせぇってやつですね」伊集院「おおっ、今日の前半、ダジャレが禁止になったんですよ、この番組」伊集院光とらじおと2017年 【実在の人物の役作り】蔦谷(重三郎)さんの本は膨大にあるんです。2月くらいかけて色んな本を読んで。そこからまず自分の中でそういうふうに生きてきたんだというのを落とし込んで、そこから役を作るみたいなことになりますよね。それはもう癖ですかね。伊集院光とらじおと2017年 【若い時と今とでは?】自分の中ではやはりほんとに芝居が大きくて、舞台の芝居みたいな、下手で下手で。それが少し自分の中で、リアルというものがどういうものか、少しずつわかってきたというか。正しい日本語というのが気になりますね、この歳になると。伊集院光とらじおと2017年 で、そういう(正しい日本語の)教育を今ほとんどされてないんですよね、若い人に。つまり主語があって形容詞があって帰結する。放物線にしゃべるということがされてないから、変に後ろに力点があったりアクセントがいくつもあったり。伊集院光とらじおと2017年 「重厚にして軽妙洒脱。どの話にも厳しさと暖かみとユーモアがあり、芝居に対して常に畏敬の念を持ち続ける姿勢には驚くばかり。多くの後輩から"村井国夫(村井國夫)みたいになりたい"と慕われるわけだ」男優倶楽部2004年 醤油があった!♪ひ〜げ〜た醤油にみりんはないが〜 タモリ倶楽部1996年 俺の「エーデルワイス」はなかなかえーでるわいす?村井國夫編 突撃インタビュー 東宝芸能50thミュージカルコンサート『Espoir〜希望をもって〜』2014年 【オスカー】僕はもともと喜劇の才能があるんです。こうして話しただけでわかるでしょ?(笑)喜劇の才能があったのになぜか、この風貌とこの声で皆さんがお使いにならなかった。そういうキャスティングをしてくれなかった。それを鵜山さんが見出した。インタビュー くしろ演劇みたい会HP2004年 「オスカー」はコメディを超えて「ファルス」ですから。「ファルス」は笑劇だからね。コメディというのは、そこはかとなくほろ苦いとか、そういうものが含まれているけれど、ファルスは笑ってなんぼですから。どっちかって言うと「吉本喜劇」に近いね。冗談ですよ(笑)くしろ演劇みたい会HP2004 【斎藤晴彦さん】僕は酒が飲めないけど、地方公演といえば、晴さんといつも連れ添っていて、残念です。稽古中でも、自分が納得いかないとかんしゃく起こすのが玉にきずですけど、とても素敵な人でした。tv asahi芸能&ニュース2014年 【笹本玲奈さん】(「ジャンヌ」で)最初にセリフを聞いた時、日本語というものに対して非常に神経を使っていらっしゃって。正しい日本語を聞かせるということは鵜山さんが非常にこだわって僕たちも注意されるのですけれど、そういうところを頑張っている姿を見るととてもかわいいです。2013年囲み取材より 70年代半ば以降、実に多様な舞台に立つ。ミュージカル「レ・ミゼラブル」の出演は800回以上。バリトンの美声を大劇場に響かせる。小劇場では繊細な心理描写。ゲイの囚人を演じた「蜘蛛女のキス」では芸術祭賞(92年)に輝くなど、表現力の評価も高い。定年時代2011年 そんな村井さんだが、音無美紀子の演技に目を見張った。「感性で演じられる才能の持ち主」。77年に音無と結婚し、「苦楽を共にする中、互いの演技も理想に近づいた気がする」とほほ笑む。「論理と感性の調和、融合…。昇華というと格好良過ぎるかな」定年時代2011年 村井国夫さんが、オレは春風くんが演じた役の中で好きなのは『私の下町』のお母さんなんだ、とポロッとおっしゃったことがあるの。あの方は、ほめ言葉を言うってことは相当よかったととれるくらい毒舌の方だから、それはうれしかった。(春風ひとみ)宝塚ゼミ04年前期2014年 『I do!』は歌はたくさんあるけれど芝居なんだという強い思いが、以前から村井さんと一致していると知っていたので、マイケル役はぜひ村井さんにとダメ元でお声をかけたら共演を承諾していただいたの。まあ、これはカップリングがすべてなのでうれしかったですね(春風ひとみ)宝塚ゼミ04年前期 【I do!】非情にハードな舞台だから、村井さんが年齢的にきつくなってきたら、私たちのカップルはいずれクローズすると思う。相手役を代えてできるかっていうものではないから、村井さんが卒業となったら、私もやめようと思っているのよ。(春風ひとみ)宝塚ゼミ04年前期2014年 村井さんって、テレビとかのイメージでは、ダンディーでプレーボーイのおじさまって感じだけれど、その裏にはいい芝居をしたいという熱い思いを秘めている尊敬する演劇人です。(春風ひとみ)宝塚ゼミ04年前期2014年 彼とは再演のたびにそれはそれは厳しい稽古場になっています。ちょっとでも大げさな芝居や嘘の芝居をすると、ズバズバ言ってきますからね。(春風ひとみ)宝塚ゼミ04年前期2014年 この村井国夫のジャベールが見事だった。この役の4人を見た中では最も人間味があり、存在感があった。特に、鬼気迫る入水自殺シーンは、さすがべテランと言おうか、我を忘れて見入ってしまった。なぜ彼が、初演時にジャベールの本役とならなかったのが不思議な位だ(大和哲夫)ミュージカル1989年 なんでもっと早くもらえなかったのか?『レ・ミゼラブル』のジャベールも12年間演じてきたのに、別の俳優が受賞しました。ミュージカル界には若くて歌のうまい人がどんどん出てきたが、私も、いま一度芝居というものに思いをはせて、がんばっていきたい。第32回菊田一夫演劇賞授賞式2007年 村井国夫さんは、素晴らしい俳優です。喜劇性も悲しみも賢明さも兼ねそなえています。深い優しさも表現することができます。(ロバート・アラン・アッカーマン)蜘蛛女のキスパンフ1991年 そしてモリーナの役に必要な多くの面をうまく作りあげ、この人物に生命を吹き込んでくれました。私はいつまでも彼を尊敬し、素晴らしいと思い続けることでしょう。(ロバート・アラン・アッカーマン)蜘蛛女のキスパンフ1991年 うちの家族で私しか(お酒が)飲めないんです。お食事に出かけてもお寿司屋さんに行っても(主人と)ペースが全然合わないんです。先にガーっと食べていなくなっちゃうんですよ。置いてかれちゃうの。早く食べろって意味なんだと思いますけど。(音無美紀子)志の輔ラジオ落語DEデート2018年 主人は葉巻喫う人なんですよ。だからさっさと食べて外で葉巻をくゆらせて、「君はごゆっくり」とは言うんですけど、それでもねえ。(音無美紀子)志の輔ラジオ落語DEデート2018年 志の輔「お客さんが(家に)入ってきたら、うわ〜葉巻の香りっていう?」でもそれが、一緒に住んでいるとあまり感じないっていう。車の中も村井の車は葉巻の匂いがすごくしますね。(音無美紀子)志の輔ラジオ落語DEデート2018年 【満月の人よ】特に村井が人の良い達吉を実に自然にそして柔らかく演じて、見事だった。満月の中屋根に登り、もう二度と大切な人を連れていくなと叫ぶラストシーンは達吉の二十七年間の深い寂しさとともに、愛しい人と一緒にいることがどれほど大切かが切々と伝わってくる(丸田真悟)テアトロ2012年 (自分が乳がんで闘病している時)主人(村井國夫)にいつもこうやって優しく私は背中を撫でられた。それが嬉しかったですね。背中をさすられて、それだけそこが安心しました。いつもこうやって。(音無美紀子)くにまるジャパン極2018年 【心霊特集】川合俊一「村井さんはそういう怖い体験などは?」村井「ええ、あります」川合「それはどういう?」村井「実はうちには30年も住んでいる………老婆がいます」川合「それ、音無さんじゃないですかーー!!」こたえてちょーだい2006年 【東憲司さん】彼の作品はどこか懐かしい感じもするし、それでいながら冷めた部分もある。情緒はあるがそれに流れない感じがします。貧しい人や差別された人間に対する温かい愛情があるんだけど、それでもやっぱりその人間たちが淘汰されていくという厳しい現実も掴まえている。観劇予報2012年 日本人の俳優である以上日本のものをやっていくことは1つのやるべき道だなということなんです。十何年も翻訳劇をやっていて思うのは言葉や文化のギャップや理解できない感情がある。とくに神に対する考え方とか、教育のこととか、僕にはどうにも理解しがたい部分だったりするんです。観劇予報2012年 【シャンハイムーン】20代のころに見た『藪原検校』に衝撃を受けて以来、井上先生の作品はあこがれ。こまつ座の芝居に昔の仲間が次々と出演するのが正直うらやましかった。話をいただき、二つ返事で『やりたい』と即決した。朝日新聞デジタル2010年 【美女と野獣吹き替え】村井(國夫)さん演じるベルの父親がある女性の思い出話を語り、ベルの「その魅惑的な女性のことを教えてくれる?」と言うセリフに村井さんが答えて「君の母さんは」ってただひと言話した瞬間に、その女性がベルの母親でもう亡くなっている人なんだって情報が全部わかる。(藤田俊太郎)ステージナタリー 【美女と野獣吹き替え】村井さん、すごいなって思いました。吹替えだから姿が出ない、声だけの表現にすごみを感じます。(藤田俊太郎)ステージナタリー それまでもタカラヅカの存在はもちろん知っていましたが、まさか自分が見に行くことになるとは思ってもみませんでした。たまたま妻に誘われて初めて見たときは「何て美しく、きらびやかな世界だろう!」と驚きました。TAKARADUKA Revue2005年 【ストゥーパ】現代劇を演じている自分にとっては、シェイクスピアよりもミュージカルよりもハードルが高い作品。現代劇と歌舞伎では発声法が異なるので、それをどう調整していくかが課題です。大きなホールで、やはり中心となるのは声と動きの美しさ。それをぜひ堪能していただきたいぶらあぼ2018年 【ストゥーパ】同じく初登場となる僧役の歌舞伎役者・尾上右近のことにも触れ、「現代劇と歌舞伎では発声法が異なるので、それをどう調整していくかが課題です。大きなホールで、やはり中心となるのは声と動きの美しさ。それをぜひ堪能していただきたい」と抱負を語った。ぶらあぼ2018年 役者は何のために、誰のためにこんなに身も心も削って役に打ち込むのか?坂本(昌行)君を見ているとそんな感じを想います。彼がそうやって、この舞台を成立させてくれています。東京中日スポーツ2002年 【赤木春恵さん】俳優としても声の素晴らしさが忘れられない。(赤木春恵さんのお通夜にて)テレビ朝日「スーパーJチャンネル」2018年 【赤木春恵さん】共演経験はないけど、楽屋に顔を出していました。世間からひどいことをいわれてたけど、それだけ芝居がすごかったということ。家族でカラオケにもいったけど、本当に優しい人でした。(赤木春恵さんのお通夜にて)日刊スポーツ2018年 【ストゥーパ〜新卒塔婆小町〜】ずっと現代劇を中心に活動してき僕には、まさに彼岸のような作品。でも、(西本智実さんの)脚本を読んでいたら、深草少将の霊が乗り移ったような気持ちになって(笑)。Mikiki2018年 【ストゥーパ〜新卒塔婆小町〜】佐久間(良子)さんとは、1967 年の映画『大奥(秘)物語』以来、実に51 年ぶりの共演。お互いに半世紀以上も現役で活動し、こうやって再びご一緒できることに喜びを感じています。Mikiki2018年 【ストゥーパ〜新卒塔婆小町〜】今回は大きな会場(ソニックシティ大ホール)なので、表情では演じられない、とても難しい作品。"声"と"動きの美しさ"をいかしたドラマティックな舞台にしたいですね。Mikiki2018年 【芸人と兵隊】自分が戦争を始めたわけではないのに、苦しんだり死んだりするのは一般の兵士や庶民。今作でも、政治的なもので動かされていく戦争の愚かさ、むなしさを訴えたい。毎日新聞2019年 政治家があてにならない。いかに国民が怒りを持って立ち上がることが必要か、というのはここ何年か非常に感じています。毎日新聞2019年 【I do!】村井さんもいい意味で嘘なくズバッと言うじゃない、だけど村井さんに口答えはできないから、すいませんちょっとおトイレ行かせていただきますって言って、コップ持ってって、鏡に向かって「くっそー!村井!」って言って水かけたことが数回ございます。(春風ひとみ)壮一帆の気分SO快 【I do!】初日が開いた時、音無さんが私の楽屋に来て泣いて「こういう素敵な村井が見られるんだったら、もう浮気なんていいわ!」って言ったのが私衝撃的で。この夫婦がこのままI do!の夫婦なんだって思って。(春風ひとみ)壮一帆の気分SO快2019年 (終演後、観てくれた人に)最初から「よかったろう」って言うんです。そうしないともう(あれこれ)言われたら心弱いから。演出家とずっと稽古してるんだからそこを大事にしなきゃ。1回見た人の意見なんて関係ない。いい悪いは関係ないよ。壮一帆の気分SO快2019年 思うだけで表現になるのがテレビで目とかに(演技が)出て来るでしょ、舞台だとアップがないからある程度自分から出て行かなきゃいけないところがあるけど、ほとんど基本的には(映像も舞台も)一緒です。僕はね。壮一帆の気分SO快2019年 【理想の芝居のやり方とか形は?】いや、それはもう50何年もやっててもわからないね。自分がどういうような芝居をやりたいのかずーっと探しながら来てますよね。壮一帆の気分SO快2019年 【劇作家さんのあて書きに注文する?】一切ない。その作家とやりたい、その作家の世界が、何本も作品を見てますからね、その世界は僕、肯定してて、それはもうお前が見た村井國夫をどう使うかを逆に言うと知りたい。ああこういうふうに書いてきたかとかね。壮一帆の気分SO快2019年 俳優なんてものは形のないものから始まるわけじゃないですか。そこに本というものがあって、そこから作りあげていくわけですからね、やっぱり何といっても本を大事にしないと。壮一帆の気分SO快2019年 自分の役は…難しいですね、客観的にだんだん見れなくなるから。(自分の役が)何を要求されているのか、芝居の中で。それを探ることは大事なことだと思います。壮一帆の気分SO快2019年 【急いで帰ってきた演技】急いで帰ってきた距離をまず考える、どのくらい歩いてきたのか走ってきたのか、何のために急いでいるのか、仕事の帰りなのか、何かの帰りなのか、具体的に考えながら入ってきた時の状態を作らなきゃ。ざっくりした雰囲気で作ると失敗するね。壮一帆の気分SO快2019年 (楽屋で)もうずっと笑ってるんだもんこいつ(壮一帆さん)。もううるさくて、楽屋っていうのは静かにするもんなんだよ、ったく。もう絶対にね、発声とか一切やっちゃいけないの、楽屋ってのは。もううるさいんだよ、お前たちの部屋は特にうるさい。壮一帆の気分SO快2019年 村井さんがおっしゃっていたんですけども、村井さんがジャベールをやられていた当時のお衣装っていうのが、ものすごく生地が上等で、今もだと思うんですけど「すごくあれ重かったんだよ」とお話されていたのが印象的でした。(壮一帆)壮一帆の気分SO快2019年 大体でもね驚かされます。僕は宝塚の出身と今までやることが多かったんでね、その宝塚の声を出す癖ね。日本語になってないんだもん。文脈とかいろいろあるじゃないか、それなのに力点の置き方が全然違ったりね。何を言いたいかっていうのが伝わらないんですよ。壮一帆の気分SO快2019年 僕はね、日本の俳優の中で一番好きなのは橋爪功なんです。それはまず(芝居が)渇いていること。つまり感情過多にならない。感情を表現しない。それと軽やか。悲しい台詞もヅメさんは軽やかにおやりになる。素敵です。羨ましい。ヅメさん、素敵です(呼びかけ)。壮一帆の気分SO快2019年 【いい女の条件】ちょっとやっぱり隙がある女性が魅力的ですね。あんまり完璧なのは太刀打ちできないと困るから。スッと僕が入り込めるような、隙がある女性が魅力的ですね。あとはもうちょっと色っぽいのが好きですね。壮一帆の気分SO快2019年 【いい男】自分のやっている仕事で秀でている人だな。見た目とかそういうんじゃなくて、仕事で僕たちの一つも二つも先に行っている姿を見ると、いいなあと思うよね。壮一帆の気分SO快2019年 若い人もいい人がいっぱいいると思う。菅田君とか窪田正孝とかね。最初に出会った時に感動しますよ。パッと最初のシーンでね、フッと会った時の空気感というか、孤高でないといけないところがあって、その中で頑張っている姿を見ると美しい。壮一帆の気分SO快2019年 【I do!】最初の頃は、若い時は地毛で行って年取ったら鬘ってしてたんですけど、最後の(公演の)頃は最初の方は鬘で、あとは地毛でいいんじゃないかっていう。いや、そういう風になっちゃいまして。恐ろしいですね。若い時は鬘ってどういうことだって。壮一帆の気分SO快2019年 僕は重鎮俳優って、「ううん、僕は軽鎮だって(笑)軽鎮俳優村井國夫(笑)」壮一帆の気分SO快2019年 【俳優にとって必要なもの】やっぱり想像力ですよね。それをいかに豊かに持つかっていう、だからいろんなことを知らなきゃいけないよね。勉強は想像力を刺激するためには絶対的に必要なものだと思います。本を読むの好きですね。壮一帆の気分SO快2019年 お洋服のセンスも抜群に素晴らしくていらっしゃって、いつも裸足にローファーなんですよ。素敵な青いローファー履いてらっしゃるんですけど、それで爽やかなギンガムチェックのシャツとか着て、葉巻咥えて稽古場にいらして、めちゃくちゃカッコいいんですよ。ほんとに。(壮一帆)壮一帆の気分SO快2019年 「魔都夜曲」で川島芳子の役をした時に煙草を喫う役だったんですけど、村井さんにジッポをいただいて「女性だから喫う煙草は細いのがいいだろう。シガレットケースを用意しろ、薄めの」と形まで事細かに教えて下さって、そういう知識を惜しみなく教えて下さって。(壮一帆)壮一帆の気分SO快2019年 自分の知識を常に周りの若い俳優に発信して教えて下さる、惜しみなく。でもその分ご自身も常に勉強されていて、ご自身の俳優としての知識を教える以上に蓄えていらっしゃる。(壮一帆)壮一帆の気分SO快2019年 自分の弱さも出されるんですよ。自分の弱さもこうやって他人に、しかも年下の全然ぺーぺーの私にパッとおっしゃるある意味強さというところにものすごく魅力と感動を覚えたことがあります。だから大尊敬する大好きな先輩のお一人なんだなとあらためて思いました。(壮一帆)壮一帆の気分SO快2019年 今も、新しい才能を探して劇場を訪れる。今後一緒に仕事をしてみたい人として劇団「パラドックス定数」主宰の野木萌葱と新国立劇場演劇部門芸術監督の小川絵梨子を挙げる。「以前から小川さんと同じ事務所の俳優、吉原光夫に紹介を頼んでいるんですが、まだ機会がありませんね」毎日新聞2019年 万が一、僕の歌のリズムがちょっと崩れたとしても、それに惑わされちゃダメ!僕のことは気にせず、自分のリズムとメロディを守ること!いいね。"自分のことは自分で"これが父からの教えです(苦笑)。2008年エリザベートパンフ 48歳から葉巻をたしなむ。ミュージカル「マイ・フェア・レディ」で、ヒギンズ教授を演じたのがきっかけだ。花売り娘イライザの社交界デビューを祝い、友人と葉巻を喫う場面。上流階級の紳士らしさを表現したいと研究を重ねた。2019年毎日新聞 「持ち方、火のつけ方、くゆらせ方。葉巻を喫う人ばかりを写した写真集を見ては勉強しました。それがついつい気に入りましてね」それまで煙草すら喫ったことがなかったが、趣味となった。自宅での食後、2時間ほどかけてゆっくりと葉巻を楽しむのが至福の時間だ。2019年毎日新聞 脚本を最低50回は読み込み、参考資料や本に丹念に当たる。「演じる人物のバックグラウンドが分かっていれば、脚本に返って、どんな役なのかを改めて考える時に頼りになります」2019年毎日新聞 リアリティーを重視した役づくり。それを教えてくれたのは、1989年から13年間出演した「レ・ミゼラブル」の演出家、ジョン・ケアードさんだった。共演者全員の前で、役について一人一人に徹底的に質問をする。2019年毎日新聞 外見はどうだろう。どんな癖があるのか。生い立ちは?兄弟はいるのか、病気をしたことがあるかなど自分のサイドストーリーを作るんです。具体的な役作りを考えるのはその後です。2019年毎日新聞 でまかせでも答えなければいけないので、必死に考えて答えているうちに、自分の中で役へのイメージができてくるんです。2019年毎日新聞 「蜘蛛女のキス」で演じたゲイの役が、俳優としての大きな転機となった。「死ぬほどつらかったですよ。こんなに女好きの僕が、男が好きなゲイを演じるわけですから。あまりにもできなくて、稽古場から脱出したこともあるくらい」2019年毎日新聞 踏みとどまれたのは、共演者に助けられたからだ。「俳優って一人でやる仕事じゃない。特に舞台は、関わる全ての人の知識や感性に助けられて出来上がるんです」2019年毎日新聞 2012年に芸名の字体を「国」から「國」に変えた。「これまで外見ばかり気にして、かっこつけていた時期がきっとあったと思うんですよ。でもそれは違うだろうと。人生後半、素の自分で勝負していこうと思ってね」2019年毎日新聞 ここ数年、200〜300席の小劇場での出演が多い。「小劇場だと拡声したマイクの声ではなく、自分の地声で届く。そうすると、感情の細やかなところまで伝えることができる。ちょっとした目の動き屋から他の使い方で表現できますからね。2019年毎日新聞 年齢を考えれば黄昏時だけど僕の中では黎明期なんですよ。その朝焼けのような人生の黄昏をどう過ごすか。僕は自分が望む仕事をやっていきたい。いいかげんな作り方をした芝居は嫌だ。真剣に考えている人たちと一緒にやりたいですね。半世紀も俳優をやっているけど、まだまだだからね。2019毎日新聞 完成形がないから、これだというものはないんですよ。これができたから達成したなんてあり得ない。2019年毎日新聞 「チャプリンじゃないけど、代表作は?って聞かれて『ネクストワン(次の作品)』って答えられるのがいいね。だって趣味は芝居とこれしかないから」。そう言って、優雅な仕草で2本の指で挟んだ葉巻をちょっと上げて見せた。2019年毎日新聞 ミュージカル「レ・ミゼラブル」の稽古でイギリスの演出家ジョン・ケアードから痛烈な一言を浴びた。「『才能や格好だけでやっていて、努力がない』と言われて。役のバックボーンを徹底的に考えなければならないと勉強させてくれました」2019年長崎新聞 今年出演した舞台(芸人と兵隊)の役作りでは、戦時中に中国大陸に渡り兵士たちを励ました芸人の歴史をひもといた。「時代を知ることはすごく面白い。若い俳優はそうしたことをほとんどやらないから、みんなの刺激にもなっていいかなと思います」2019年長崎新聞 一方で「周りの俳優さんが語ることが自分の役のヒントになる。耳を傾けるのが大事かな、と思います」とも。「僕なんかもかたくなな時代が続いて、心を開くなんてことはできない性格でしたから。よわいを重ねると割と楽になりますよね」2019年長崎新聞 74歳となった今も、柔軟な気持ちで、若いクリエーターたちとの舞台創作に心躍らせる日々。「大好きで見てきた作り手と仕事ができる、この年になっても新しい出会いがあるというのはありがたいことですね」2019年長崎新聞 すごく優しくなりましたし、労わってくれるようになりました、私を。ありがとうって言う時に、いちいちどこかを触ってくれる。前はよけて通っていたのに(笑)、最近はごちそうさまとかありがとうとか、ちょっと触ってくれるだけでね(嬉しい)(音無美紀子)徹子の部屋2019年 【九州男児】音無「本当にお台所の事なんか一切何もわからないし何もしないし」徹子「空の湯飲みを貴方が作ってくれるのを当然のように置いたのが、今は自分で作ってくれるようになった?」音無「今は自分で淹れるようになったしお茶葉も買えるようになった」徹子の部屋2019年 外でも二人のコスチュームがまるで違うと「今日は帰ろう」とかね、ワイシャツのボタンが外れていると、どこかでボタンを売っていないか、ワイシャツ買って着替えちゃうとか。(音無美紀子)徹子の部屋1986年 徹子「ご主人様、貴方がお書きになったメモとかお手紙とか、そういうもの全部とっておおきになっているの」音無「えーっ!」徹子「お先にお召し上がり下さいとかそういうメモ全部とっておおきになっているんですってよ。私、泣いちゃうわ、そんなのって」徹子の部屋2019年 長い結婚生活の間には、貴方が嫌いになったり、"イヤな男"と思ったこともそりゃあ何度がありましたけれど、少し冷静になると、こんな事で私達の歴史に終止符を打つのは勿体ないか…などと思い直し、(音無美紀子H18年の手紙)徹子の部屋2019年 考えてみれば、貴方だって私を"イヤな女"を思ったことも多々あるでしょう。じっと我慢してくれた事がいっぱいあるに違いありませんものね。十八年前、乳がんの手術をし、その後はひどいうつ病になって、貴方につらい思いをさせてしまいました。(音無美紀子)徹子の部屋2019年 「自分は妻に何もしてあげられなかった。どうしてあげればいいのかわからずただ手を握っているしかなかった」「自分は無力だった」とおっしゃるけれど、とんでもない!どれだけ温かく見守り、支えて下さっていたか…感謝以外の言葉は見つかりません。(音無美紀子)徹子の部屋2019年 貴方は一見、頑固で自分勝手でわがままな亭主と思われがちですが(まあ多少そんな所もありますが)実は私よりずっと繊細で慎重で強そうに見えて強がっているだけだったりする。私よりずっと優しくて、気配りのできる人、(音無美紀子)徹子の部屋2019 芝居に対しても純粋で努力家で情熱的で…。そんなあなたが好き。石橋を叩いて叩いて渡らない貴方をもどかしく思うこともあるけど、叩かず「エイ、行けっ」と行ってしまいそうな私を冷静に押さえてくれる貴方に何度助けられたかわかりません。(音無美紀子)徹子の部屋2019年 私達はピチッとバランスのとれている二人なのかもね。私にとって貴方は理想の夫、貴方にとって私は理想の妻(?)かな。ずっと一緒にいられるようになるにはやはり時間がかかります。三十年貴方は私の全てを認め愛し必要としてくれるのですから、私は本当に幸せだと思います。(音無美紀子)徹子の部屋 徹子「音無さんは今でもご主人の役作りに関しては尊敬していて、最年長なのに最初に舞台で台詞を覚えてくるのはこの方なんですって?」音無「台本が来てからはずっとほとんど台本とにらめっこで、すぐ部屋にこもってやるタイプなんですよ。その役についての資料をどれだけ読むかっていう」徹子の部屋 徹子「声がよくてミュージカルおできになるっていう事が突然ある日分かったのは凄いですよね」村井「そうそう、40過ぎてからですからね。あ、俺、いけるんだと思ったの。44ですよ」徹子の部屋2019年 【終活】僕は考えます。いろんな物をね、残しておいても子供たちは維持できないから、そのためにもすっきりした方がいいという感じはします。本とかそういうのがものすごく多いでしょ、着るものはまあどんどん整理しているんですけど、うちは荷物が多いね。徹子の部屋2019年 私の小さい頃はテレビはまだなく、ラジオと貸本屋で借りる漫画本、それから紙芝居が娯楽の全てでした。ラジオで好きだったのは「新諸国物語」の「笛吹童子」「紅孔雀」などを夢中で聞いていましたし、漫画は「鉄腕アトム」「赤堂鈴之助」を借りて読んでました。2019年リトルウィメンパンフ 【リトルウィメン】稽古場の席が隣で、いい声だと歌を褒めて頂いたり、的確なアドバイスもくださるなど、本当に血が繋がっているような感覚です!最初は怖いかなとも思っていましたが…僕の受け答えが面白い!と、どんどん距離が縮まっていきました。(林翔太)2019年リトルウィメン公式アカウント 【薮宏太さんに】かわいいですよね。僕、同じミュージカルをやったことあるんですよ。『シー・ラヴズ・ミー』の日本初演。密かに、いっしょの作品をやったことがあったなと思ってたんです。知らないだろ? そういうの調べておかないと。マイナビニュース2020年 【心筋梗塞について】生きてます。自分でもびっくりしましたが、なんとか大丈夫だと思います。毎日ウォーキングを4〜5kmくらいして、元気な日々を送ってます。2つ芝居を降りちゃいましたから、これ(ジョセフ)は確実にやっていきたいと思っています。マイナビニュース2020年 【ジョセフ】村井との共演について感想を聞かれた薮は「嬉しい限りです」と語ったものの、先ほどの件を引きずっていた村井は「(同じ舞台をやったことを)知りもしないんですよ!」と手を伸ばして薮の手をぺしぺしと叩く。マイナビニュース2020年 【ジョセフ】薮は「この期間を経て、千秋楽には一緒にお酒を……」と弁解するも、村井の「僕、一滴もお酒を飲まないんですよ」という言葉に、「ああ、申し訳ない……」と天を仰いでいた。マイナビニュース2020年 【ジョセフ】浄土真宗なので、旧約聖書のことはあまりわからないんでございます。私の武器はセリフ。(多彩な曲があって)本当に不安です。マイナビニュース2020年 【紀伊國屋演劇賞】この賞はとてもうれしい賞でございます。今まで54年間、まったく縁もなかったですけど、いただけるものならいただきたいと思っておりました。大好きな、大好きな、桟敷童子のみんなと一緒にもらえたことは本当に喜びもひとしおでございます。スポニチ2020年 【獣唄】5日間やりましたところで、心筋梗塞という不摂生な病気になりまして。手術をやむなくしまして、降板をせざるをえなくなって、大変なご迷惑をおかけしました。大変申し訳ない。スポニチ2020年 【獣唄】私も命拾いして、元気にしておりますので、この賞を口実に絶対に再演をしていただきたい。僕は6回しかやってないんですよ。6回だけなんですよ!スポニチ2020年 『オン・マイ・オウン』のシーンと、法の番人としてジャン・バルジャンをとらえることが正義と信じてきたジャベール=村井国夫が、バルジャンに命を救われたことで正義への忠誠心が揺らぎ、自殺する直前に歌う『ジャベールの自殺』シーン。この二場面が圧巻だ。(石井啓夫)1998年産経新聞 台本を読む時には、自分のキーはどこなのかというのを探しますね。納得できる台詞があればそこからその役を派生させるというのがありますから、それを見つける作業ですね。Musical Theater Japan2019年 これは表面的に言っているだけの台詞だなとか、ただ(返事を)返しているだけの台詞だなとか、(精査して行く中で)これはという台詞が見つかると、そこから自分のなかで(腑に)おちていくということがありますね。Musical Theater Japan2019年 読んで読んで、見つけないと。もちろん、読み間違うこともしょっちゅうあるわけで、今も現場で演出家から指摘されて"そうなの?"ということもよくありますよ。俳優の考え方は肯定され否定され、その中から(芝居が)出来ていくんです。Musical Theater Japan2019年 【レミ】ジョンたちが作った以前の演出はね、エックス型に交差させる照明だけで人物の対立関係を見せたりと、観客のイマジネーションをかきたてていて、素敵だったんですよ。下水道のセットも実はぺらぺらのベニヤ板だけだったけどね(笑)。Musical Theater Japan2019年 ジョンはアンサンブルの一人一人の芝居にもこだわっていて"君、今どこから来てどこに行こうとしているの?"と聞くんですよ。"あの、下手から上手へ"とアンサンブルが答えると"そういうことじゃなくて今仕事に行くところなのか、帰るところなのか。MusicalTheaterJapan2019年 娼婦の君は、以前は何をしていたのか。俳優業で食べられなくて娼婦になったのか。貧しい家の出で娼婦になったのか"と。RSC(ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー)出身の人だから、芝居を作り上げるということにすみずみまでこだわっていましたね。Musical Theater Japan2019年 【演じること】喜びより苦しみの方が多いですよ。自分でない人間を作り上げないといけないから模索する時間が長い。でも過ぎてしまえば、その苦しみながら作っていく時間が一番楽しいかな。(舞台上で)拍手喝采されたらそれももちろん嬉しいけれど。MusicalTheaterJapan2019年 稽古中の今はしんどくていやだなぁと思うけれど結局この時間を持ちたいために俳優をやっているのでしょうね。この中でいろんな人に巡り合うことの楽しさ。今回もいろんな人が出ていらっしゃるわけで、そうした方々との出会いはかけがえのないものです。MusicalTheaterJapan2019年 【影響を受けた人物】村井國夫さん。「レ・ミゼラブル」でお世話になり、村井さんのジャベールが私のベースです。普段はつまらない(失礼)親父ギャグしか言わないのに、舞台に臨む時の居方や気迫は無言でいろいろ学ばせて頂きました。(岡幸二郎)ミュージカル2020年 ------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- |